【アスリートの原点】ネイマール:父もプロ選手。海岸沿いでボールとたわむれていた少年時代に才能を見いだされる

11歳の時、名門サントスの下部組織に引き抜かれる

サッカー大国ブラジルにおいて、ネイマールは永遠に語り継がれる存在と言っていい。オーバーエイジ枠で参加した母国開催のリオデジャネイロ五輪で、ブラジルサッカー史上初のオリンピック金メダルをもたらした。リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドと並んで現代サッカー界屈指のアタッカーと称されるブラジル代表のエースのルーツに迫る。

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自宅には50個ほどのサッカーボールが転がっていた

1992年2月5日にブラジルのサンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス市で産声を上げた。

フルネームはネイマール・ダ・シウヴァ・サントス・ジュニオール。「ジュニオール」は英語の「ジュニア」に相当するポルトガル語だ。父もネイマールという名前で、プロのサッカー選手だった。ただ、決して裕福な家庭ではなかった。サッカー選手として大成するまでは祖母の家の一室を借りて質素な生活を送っていた。

地方クラブながらプロ選手を父に持つ息子にとって、サッカーは小さなころから身近な存在だった。物心ついたころから、自宅に50個ほど転がっていたサッカーボールを好きな時に好きなだけ蹴っていた。父は時間があればボールの蹴り方やドリブルの仕方を教えてくれた。その学びをもとに、近所のグラウンドやフットサルコートで足技を磨いていった。

十代になる前に早くも転機が訪れている。父親が参加した7人制のフットサル、通称「ソサイチ」の応援で海岸沿いの会場に足を運んだ。試合の合間に会場の周りでボールとたわむれていると、一人の男性がその少年のプレーに目を奪われた。

海岸でネイマール少年の才能を見いだしたのはロベルト・アントニオ・ドス・サントスだ。「ベッチーニョ」という愛称で親しまれている男で、ポルトゲーザ・サンチスタというクラブの指導者だった。ベッチーニョは「スター選手の卵」が放つ輝きに気づき、すぐに自らが監督を務めるクラブチームの下部組織に招き入れた。

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特別奨学金を得て数々のフットサル大会に出場

ポルトゲーザ・サンチスタに加え、別のフットサルチーム、グレメタウにも所属したネイマール少年はめきめきと頭角を現していく。10歳の時、サッカーの才能を高く評価してくれた学校の先生の協力もあり、特別奨学金を得ることができた。そのおかげで、数々のフットサル大会に出場する機会に恵まれた。

サントス地域の大会の決勝戦がテレビで放送された。自分たちのグレメタウは惜しくも優勝を逃したものの、ネイマール少年のプレーは強烈な印象を残した。ブラジルの名門クラブにも確信を抱かせた。2003年、11歳の時にサントスの下部組織に引き抜かれている。

ペレや三浦知良もプレーした強豪でさらに才能を伸ばし、17歳になったばかりの2009年3月7日にプロデビューを果たす。同年秋に行われたU−17ワールドカップに出場すると、2010年8月10日にはブラジル代表デビューを飾った。小さなころから憧れていたロビーニョとともにアメリカとの親善試合に出場し、代表初ゴールを決めて2−0の勝利に貢献した。

文字どおりサッカーとともに生きてきたネイマールは、2013年からバルセロナで4シーズンプレー。2016年のリオデジャネイロ五輪でブラジルサッカー史上初のオリンピック金メダルをもたらしたアタッカーは、2017年にフランスのパリ・サンジェルマンに活躍の場を移し、さらなる栄光を手にしようと挑戦を続けている。

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