【アスリートの原点】内村航平:「キング・コウヘイ」のキャリアは、バク転もできない最下位からスタート

技の動きの一つひとつをノートに書き込んだ小学生時代

2009年10月、20歳の時にロンドンで行われた世界体操競技選手権の個人総合で金メダルを獲得。以降、内村航平は同大会の6連覇をはじめ、オリンピックでも3つの金メダルと4つの銀メダルを獲得するなど、現代体操界の第一線を走り続けてきた。2020年の東京五輪をキャリアの最終章に据えた「キング・コウヘイ」の原点を紹介する。

19歳の時、自身初のオリンピックとなった北京五輪では銀メダルを獲得。中学3年次の全国42位から比較すれば大きな飛躍だ
19歳の時、自身初のオリンピックとなった北京五輪では銀メダルを獲得。中学3年次の全国42位から比較すれば大きな飛躍だ19歳の時、自身初のオリンピックとなった北京五輪では銀メダルを獲得。中学3年次の全国42位から比較すれば大きな飛躍だ

両親ともに元体操選手のサラブレッド

日本体操界をリードしてきた内村航平は2016年のリオデジャネイロ五輪での引退を考えていた。だが、2020年のオリンピックが東京開催に決まった時、「運命だな」と感じたという。

東京五輪が「自分の体操人生では最終章になる」と考えている内村は、1989日1月3日に生まれた。たった1週間しかない昭和64年に、福岡県北九州市で産声をあげた。

やがて体操選手として数々の栄冠を手にするのも、「運命」だったのかもしれない。父の和久さんは柳川高等学校時代に全国高等学校総合体育大会の種目別で優勝を果たしている。日本体育大学の体操競技部でも活躍した。母の周子さんも純心女子高等学校と長崎県立女子短期大学で体操競技に取り組んでいる。

1992年、元体操選手の両親は長崎県諫早市で「スポーツクラブ内村」という体操教室を立ち上げた。息子に英才教育を施そうという意図もあった。内村はわずか3歳で体を動かし始めている。「三つ子の魂百まで」という言葉があるように、3歳までの子育てが未来を形づくると考えられている。まだ物心つくかつかないかで体操の楽しさに触れた内村の場合も、その原体験が以降の歩みを支えてきたと言っていい。

2009年、20歳の時に世界体操競技選手権で優勝。抜群の空中感覚は少年時代にトランポリンで養った
2009年、20歳の時に世界体操競技選手権で優勝。抜群の空中感覚は少年時代にトランポリンで養った2009年、20歳の時に世界体操競技選手権で優勝。抜群の空中感覚は少年時代にトランポリンで養った

デビューでの最下位後、ひたすら技の研究に励む

「体操のサラブレッド」とはいえ、順風満帆な船出を飾ったわけではない。むしろどん底からのスタートだった。

母いわく「おとなしくて、引っ込み思案」な内村少年が初めて本格的な大会に出場したのは小学1年生の時。緊張のあまり最悪のパフォーマンスに終始し、最下位に終わった。バク転ができないのは内村一人だけだった。

その悔しさが成長の原動力になった。気になった技はビデオで一つひとつの動きをしっかりと目で見て、イメージに刻み込んだ。スタートから着地までの動きの映像をコマ送りにして絵に描き起こして、体の動きを頭にたたき込んだ。

毎日のようにノートに向かう息子の姿を見た両親は、アメリカからトランポリンを買い付けてプレゼントした。そのトランポリンで、ノートに書き込んだ技を何度も繰り返した。「晩御飯だよ」と母が告げても、練習を続けた。体操がしたかった。

内村少年は5年生の時、父が高校総体で優勝して手にした金メダルを目にして、「僕も金メダルがほしい」と思うようになった。目標が明確になった。それでも、諫早中学3年生の時に出場した全国中学校体操競技選手権大会では個人総合で42位に沈んだ。夢はまだ文字どおり夢のままだった。

体操が好き。体操がうまくなりたい。その思いを貫き通して、びりっけつのスタートから20年あまり。内村はオリンピックと世界体操競技選手権とを合わせて13個の金メダルを手繰り寄せてきた。海外では畏敬の念を込めて「キング・コウヘイ」と称される、紛れもない現代体操界の中心的人物だ。

最下位という挫折を乗り越えるべく、テレビとノートに向き合い続けた少年は大きく成長した。そして今、「自分の体操人生では最終章になる」東京五輪の金メダルをしっかりと見据えている。

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