2019年9月に行われたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)ではトップを快走しながらも、まさかの失速により東京五輪代表の座を逃した……誰よりも悔しい思いを味わった設楽悠太は、2020年3月1日、誰よりも強い闘志を持って東京マラソンに挑み、残り1枠となった代表枠を狙う。常に切磋琢磨してきた双子の兄の存在に触れながら、ランナーとしての原点に焦点を当てる。
兄の陰に隠れていた少年時代
1991年12月18日、埼玉県の設楽家に双子の男の子が生まれた。兄は啓太、弟は悠太と名付けられた。
二卵性双生児のため、外見や背格好はそっくり。しかし父いわく、二人の性格は幼いころから全く違ったという。それでも二人はいつも一緒に遊んでいた。「とにかく仲が良かった」双子は互いに影響を与え合い、一番近くにいる同志でありながら、ライバルとなっていく。
陸上競技を始めたのは小学5年生の時。啓太と悠太は、母親の勧めで近所の陸上教室に通い始めた。初めからやる気満々で、いろいろなことに積極的に取り組む兄の啓太に比べ、内気だった悠太にとっては「とりあえずあいつのまねをしようかと思って」とついていった習い事だった。
本格的に長距離を始めたのは中学に上がってから。当時はまだまだ兄との実力差があり、ずっと歯が立たなかった。悠太は常に兄の陰に隠れていたが、「悔しい気持ちはなかった。あいつが結果を出すとうれしかった」と振り返っており、その頃は兄との差を意識していなかった。
ともにチームのエースとなっていた設楽兄弟は、2006年、男衾中学時代にチームを初の全国中学校駅伝大会出場へと導く。さらに武蔵越生高等学校でも同校にとって初めての全国高校駅伝大会出場権をもたらした。
「設楽の弱いほう」と呼ばれ奮起し、自己流を貫いて開花
長距離界で一躍有名人となった設楽兄弟は、監督やコーチから直々に誘いを受け、駅伝の名門、東洋大学への入学を決める。
弟の悠太にとって大きなターニングポイントとなったのは、やはり箱根駅伝の舞台だった。1年次には3区を走ったが、後半に失速してライバルに差をつけられてしまう。すると次第に周囲から辛辣な言葉が聞こえてきた。
「あいつは設楽の弱いほうだ」
この悔しさをバネに奮起した悠太は、とにかく猛練習に励んだ。苦手だった野菜も積極的に摂るようになるなど変化することに貪欲になった。そして翌年、2年次には7区を走って見事に区間新記録を樹立。結果で周囲を黙らせてみせた。4年次には兄の啓太が主将、弟の悠太が副主将を務め、最終的に4年間で2度の箱根優勝という輝かしい歴史を刻んだ。
兄弟が初めて別々の道を歩むことになったのは、大学卒業後だ。現在、日立物流に所属する啓太はコニカミノルタへ、悠太はHondaに入社した。「社会人は、走れなくなったら自分の責任」。啓太と離れた悠太は、時に「異端児」と呼ばれるほど自己流を貫き、マイペースに、しかし着実に力をつけブレイクを果たした。2018年の東京マラソンでは、2時間6分11秒という当時の日本記録をたたき出している。
決して気負いはないが、その裏には確実に熱い闘志がある。東京マラソンに向けては、「2時間5分台での日本記録を出して選ばれても辞退する」とコメント。東京五輪時の暑さも理由の一つだが、2時間4分台を出さなければ世界と戦えないと感じている。
2月16日には金栗記念熊日30キロロードレースを1時間29分47秒秒で駆け抜け、優勝を果たした。かつて「設楽の弱いほう」と呼ばれた男は並み居るライバルを押しのけ、残り一枠の東京行きの切符を勝ち取りにいく。
選手プロフィール
- 設楽悠太(したら・ゆうた)
- マラソン選手
- 生年月日:1991年12月18日
- 出身地:埼玉県大里郡寄居町
- 身長/体重:174センチ/48キロ
- 所属:Honda 陸上部
- オリンピックの経験:リオデジャネイロ五輪 10000メートル
- ツイッター:設楽 悠太(@Honda_1218)