ケンブリッジ飛鳥:中学時代は予選落ち。ウサイン・ボルトに刺激を受け、ボルトと並走するまでに成長 

中学時代にサッカー選手からスプリンターに転向

人類史上最速のスプリンター、ウサイン・ボルトと同じくジャマイカにルーツを持つ。陸上を本格的に始めた中学時代は全国大会で予選落ちを味わったが、その後、徐々に頭角を現した。2016年のリオデジャネイロ五輪では、4×100メートルリレーの銀メダル獲得に貢献した。自身が強いこだわりを持つ100メートルには桐生祥秀や山縣亮太、多田周平などライバルがひしめく。東京五輪の開幕が迫る2019年、自身の2018年を「弱」と言い表したケンブリッジ飛鳥の真価と進化が問われる。

100メートルの自己ベストは10秒08。4×100メートルの走者としても活躍する
100メートルの自己ベストは10秒08。4×100メートルの走者としても活躍する100メートルの自己ベストは10秒08。4×100メートルの走者としても活躍する

アジア大会の100メートルでは準決勝敗退

2018年12月、ケンブリッジ飛鳥はこの一年を振り返る漢字を「弱」だと話した。新聞記者の質問に答えたもので、何より8月にインドで行われたアジア競技大会の100メートルで喫した準決勝敗退が頭をよぎったようだ。

準決勝のタイムは10秒36。10秒10で準決勝を突破した山縣亮太(やまがた・りょうた)は決勝で10秒00の自己ベストタイの記録をたたき出し、銅メダルを獲得した。アジア大会の100メートルは代表落ちしたものの、桐生祥秀(きりゅう・よしひで)は2017年に9秒98で駆け抜け、日本人初となる9秒台をマークしている。2017年に追い風参考記録ながら9秒94をマークした多田修平や、10秒05の自己ベストを持つサニブラウン・ハキームなど、ライバルの動向も気にならざるを得ない。

東京五輪で100メートルを走れる日本人男子選手は最大で3人のみ。わずか3枠という狭き門も脳裏をかすめたのだろう、「弱」と言い表した一年の予兆は、リオデジャネイロ五輪から1年後の2017年にわずかに垣間見えていた。

2017年6月に世界選手権代表選考会を兼ねて行われた日本選手権では、準決勝で自己ベストの10秒08をたたき出した。しかし、決勝ではサニブラウンと多田に破れ3位に終わっている。右太もも裏に違和感を抱えていたためで、10秒18という記録だった。同年8月に行われた世界選手権では10秒21の4着で予選を突破。しかし、準決勝では予選よりも遅い10秒36にとどまった。右脚の状態は万全ではなかった。

2018年のアジア大会の4×100メートルリレーで金メダルを獲得。左から山縣、多田、桐生。100メートルではライバルとなる
2018年のアジア大会の4×100メートルリレーで金メダルを獲得。左から山縣、多田、桐生。100メートルではライバルとなる2018年のアジア大会の4×100メートルリレーで金メダルを獲得。左から山縣、多田、桐生。100メートルではライバルとなる

ボルトが焦るような視線を向けるほどの疾走

2018年の師走にケンブリッジが抱いたかすかな不安は、すでに一定の高みを知っているからに他ならない。2016年、リオデジャネイロ五輪で銀メダルを勝ち取った4×100メートルリレー決勝の走りは圧巻だった。 山縣亮太、飯塚翔太, 桐生祥秀がつないだバトンをアンカーとして受け取る。並んで走ったあのウサイン・ボルト(ジャマイカ)が一瞬焦るような視線をケンブリッジに向けるほどの疾走だった。最終的にケンブリッジは100メートルで9秒84の記録を持つトレイボン・ブロメル(アメリカ)に競り勝ち、37秒60というアジア記録達成に貢献している。

その偉業の快感を体感したからこそ、ケンブリッジはとことん自分に厳しい。あれ以上の場所にたどり着くには、まだ何かが足りない。ライバルの存在も無視できない。2020年東京五輪が間近に迫るなか、多かれ少なかれ焦燥感が募るのは当然の話だ。

もっとも、「弱」とこぼした2018年もひたすら低迷したわけではない。同年8月にインドネシアで行われたアジア競技大会の4×100メートルリレーでは金メダル獲得に貢献している。山縣、多田、桐生がつないできたバトンを受け取りアンカーとしてゴールテープを切った。同大会の同レースで日本勢は20年ぶりの金メダル。100メートルで準決勝敗退を喫していたケンブリッジは、アジアの頂点を経験した。王者の称号は、東京五輪に向けた自信になる。

2016年のリオでジャネイロ五輪では、同じジャマイカにルーツを持ち、憧れの存在でもあるボルト(中央)と並走した
2016年のリオでジャネイロ五輪では、同じジャマイカにルーツを持ち、憧れの存在でもあるボルト(中央)と並走した2016年のリオでジャネイロ五輪では、同じジャマイカにルーツを持ち、憧れの存在でもあるボルト(中央)と並走した

中学時代、ホテルで見たボルトの全力疾走に刺激

父はジャマイカ人。母は日本人。1993年5月31日、ジャマイカの海沿いの都市モンテゴベイで生まれた。 2歳の時から日本で過ごす。小学生時代はサッカーに夢中だった。憧れの選手は、ブラジル代表やスペインのバルセロナで活躍したロナウジーニョで、自身も攻撃的なプレーヤーとして足技を磨いていた。

アスリートとしての転機が訪れたのは中学生の時だ。大阪市の淀川中学に入学すると、足が速い点に注目した教師に勧誘され、陸上競技部に入部した。中学3年生の時には東京都江東区の深川第三中学に転校する。同年2008年、新潟県で行われた全日本中学陸上競技選手権大会で200メートルに出場する。結果は予選落ち。キャリアをスタートさせたばかりのころは、頭抜けた存在ではなかった。

ただし、予選落ちの悔しさを味わったその時、大きな力を得た。同じジャマイカ出身のアスリートから人生を変えるほどの大きな刺激を受けた。宿泊していた新潟のホテルでテレビをつけると、北京オリンピック男子100メートルが行われるところだった。当時21歳、オリンピック初出場のウサイン・ボルトが9秒69という世界記録を打ち立てて優勝した。その全力疾走に胸が高鳴り、「自分も世界で勝てる選手になりたい」と決意した。

人類史上最速のスプリンターに刺激を受けた少年は、やがて頭角を現し、陸上の強豪である東京高校の2年時には100メートルで10秒75という10秒台を記録し注目を集めた。日本大学に進学後の2年時は、中学時代は全国大会で予選落ちの屈辱を味わった200メートルで、自己ベストの20秒62の記録をたたき出している。

そして今、東京五輪で活躍できる選択肢は、100メートル、200メートル、4×100メートルリレーの3つが存在する。なかでも、新潟のホテルでボルトが世界を驚かせ、自身の心も焚きつけてくれた100メートルへのこだわりが強い。以前、メディアのインタビューで東京五輪について尋ねられた際、ケンブリッジは「9秒95以内」を目標とし、次のように話している。

「新国立競技場で行われる100メートル決勝のスタートラインに立っている姿はよくイメージします」

  • リプレイ:ジャマイカが男子4×100mリレーで世界記録更新

    リプレイ:ジャマイカが男子4×100mリレーで世界記録更新

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