スピードスケートの小平奈緒:地元の病院に「無職」の危機を救われ、平昌五輪で悲願の金

実業団の誘いを断り、長野への地元愛から一般入試で信州大へ

小平奈緒は平昌五輪のスピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得した。地元長野への愛着の強さ故か、その経歴は異色と言っていい。同好会でプレーした高校時代、国立大学で文武両道を貫いた大学時代。そして長野を離れての2年間のオランダ留学も、すべては飽くなきスケートへの情熱が彼女を突き動かしている。

自身3度目のオリンピックとなった平昌五輪では、低地リンクでは世界初となる36秒台をたたき出してみせた
自身3度目のオリンピックとなった平昌五輪では、低地リンクでは世界初となる36秒台をたたき出してみせた自身3度目のオリンピックとなった平昌五輪では、低地リンクでは世界初となる36秒台をたたき出してみせた

2018年、オリンピック記録で悲願の金メダル

小平奈緒は日本が世界に誇るスピードスケーターだ。冬季オリンピックの舞台で栄光を手にしたのは2018年の平昌五輪。スピードスケート女子500メートルで、存在感を見せつけた。自己最速に迫る驚異のスピードで100メートルを通過すると、勢いをとどめることなくカーブに突っ込み、そのまま駆け抜けた。タイムはオリンピック記録の36秒94。低地リンクでは世界初となる36秒台をたたき出して、日本スピードスケート女子選手として初の金メダルを獲得した。

オリンピック初挑戦となった2010年のバンクーバー五輪は4種目に出場した。女子団体パシュートで銀メダルを獲得したが、個人種目は1000メートル、1500メートルともに5位と惜しくも表彰台に届かなかった。雪辱を誓った4年後のソチ五輪は、500メートルで5位、1000メートルで13位。またも悲願達成とはならず、涙を流した。その後はスケート大国オランダへの留学を決意し、プロチーム「Team continu」で活動した。

オランダでの生活は、競技以外の面での苦労が絶えなかった。専属トレーナーはおらず、自ら車を運転してスーパーで日本食を調達した。牛舎を改装したような住まいで、話し相手は窓の外にいるポニーの「ヘッセル」だけ。乳製品のアレルギーによる不調も経験した。心身ともにタフさを身につけたオランダで学び得たものは、「オランダ人と同じことをやっていてもオランダ人には勝てない」ということ。帰国後は、日本人のメリットを生かす方法を探すことに重点を置いた。

そして迎えた2018年の平昌五輪。国内外の通算連勝記録「25」勝目を挙げ、無敵のスピード女王として手にした金メダル。同大会では1000メートルでも銀メダルを獲得し、日本女子選手として初めて冬季五輪通算3個目のメダル獲得という快挙も成し遂げた。

高校時代はスケート同好会で活動。2018年の平昌五輪では500mで金メダル、1000mでは銀メダルを獲得した(中央)
高校時代はスケート同好会で活動。2018年の平昌五輪では500mで金メダル、1000mでは銀メダルを獲得した(中央)高校時代はスケート同好会で活動。2018年の平昌五輪では500mで金メダル、1000mでは銀メダルを獲得した(中央)

スケート同好会として活動し、インハイ2冠

小平は1986年5月26日、長野県茅野市で3姉妹の末っ子として生まれた。3歳でスケートを始め、小学校時代は長野五輪、ソルトレーク五輪代表の三宮恵利子に憧れた。

小平にスケートの基礎を教えたのは新谷純夫さんだ。バンクーバー五輪代表の新谷志保美の父で、長野県宮田村の「宮田スケートクラブ」代表を務めていた同コーチが熱心に指導してくれた。当時から図抜けた脚力を持っていた小平を、いずれは日本代表になると見込んだからだ。

中学卒業時にはスケート強豪校からスカウトを受けていたが、それを断り、スケート部のない伊那西高等学校に進学。自らも関わって立ち上げた同好会の一員として活動し、インターハイで500メートルと1000メートルの2冠を達成した。高校時代は下宿をしてスケート漬けの毎日を送っており、リンクでの練習だけでなく、河原でのダッシュや自転車を使った山上り、ローラースケート場での練習などで、当時からストイックさを発揮していた。

その後、彼女の人生を大きく左右する出来事がやってきた。自身が「人生の選択で一番の勝負だった」と振り返る大学入試だ。高校時代に全国大会で活躍した選手の多くが練習環境の整った実業団に進むなか、小平は長野五輪で清水宏保を金メダルに導いた結城匡啓(まさひろ)コーチの指導を受けるため、信州大学への進学を希望した。

国立大学の信州大にはスポーツ推薦がなく、一般入試を受けた。入試前日、小平は食べたものをすべて戻してしまうほどの緊張に襲われた。それでも、人生で一番の緊張を乗り越え、無事に合格。入学後は結城コーチの指導により、滑り方の改善に取り組んだ。

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突然の内定取り消しと、地元での活動へのこだわり

信州大で特別な配慮を受けることなく単位を取得し、文武両道を貫いた小平。4年次には、結城コーチの指導を受けながら長野県内で練習することを条件に、就職活動を行った。一度は内定先が決まったものの、リーマンショックの影響からか、3月に突然内定を取り消されてしまった。

卒業式が終わっても所属先が決まらず、「無職」も覚悟した小平に救いの手を差し伸べたのは、長野県松本市にある相澤病院だった。治療やリハビリをした縁もあって、4月半ばに採用が決まった。地元で活動することにこだわる小平と、「頑張っている若者を地元で支えるのは当然」という相澤病院の姿勢が通じ合った。

事務員として採用された小平は業務をこなすことを申し出たが、相澤病院は彼女に一般業務をさせず、練習場がある長野市内のマンションに住まわせ、スケートに専念できる環境を整えた。彼女のスケート熱を理解している相澤病院側にとっては、彼女がとことんスケートを突き詰めることこそが願いだからだ。

そんな相澤病院の手厚いサポートを受け、さらに小平が「世界一」と絶大な信頼を寄せる結城コーチとの二人三脚でつかんだ五輪金メダル。支えてくれる存在がある限り、小平が成長を止めることはない。

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