フェンシング:太田雄貴の意思を継ぐ日本の次期エース松山恭助は、リオ五輪を「体感」

華麗な技で相手を翻弄するサウスポー
2016年の全日本フェンシング選手権大会で優勝。日本男子フルーレではトップクラスの実力を持つ/時事
2016年の全日本フェンシング選手権大会で優勝。日本男子フルーレではトップクラスの実力を持つ/時事2016年の全日本フェンシング選手権大会で優勝。日本男子フルーレではトップクラスの実力を持つ/時事

かつて太田雄貴が個人と団体で銀メダルを獲得したフェンシング男子の「フルーレ」。太田の引退後も若い世代の強化は進んでおり、松山恭助は注目選手の一人だ。サウスポースタイルから繰り出す華麗な技を武器に、2020年東京五輪でのメダル獲得をめざす。

4歳でフェンシングと出合い、すぐに魅了される

2018年12月上旬に行われた第71回全日本フェンシング選手権大会、男子フルーレ。松山恭助(早稲田大学)は準決勝で上野優斗(中央大学)に敗れ、3位に終わった。松山は2016年の同大会で初優勝を飾っているが、2017年は惜しくも決勝で敗れて連覇はならず、今大会でもリベンジはならなかった。2019年1月にはフランスと日本でワールドカップの試合が控えている。2020年東京五輪に向けて、ここからの巻き返しが求められる。

松山とフェンシングとの出合いは、彼が4歳の時にさかのぼる。地元である東京都台東区のスポーツセンターにフェンシング教室があることを知った母親が、2歳年上の兄、大助とともに通わせたことがきっかけだった。

母親は競技については全くの門外漢。「団体競技だと周囲に迷惑をかけるかもしれない。個人競技ならそんなことはないだろう」。そんな軽い気持ちでフェンシングをやらせたそうだが、松山はすぐにその魅力に取りつかれた。「スター・ウォーズのように剣で戦えてかっこいい」。戦う自分の姿を人気映画の登場人物に重ね、競技にのめり込んでいった。

フェンシングには「エペ」「フルーレ」「サーブル」の3種目がある。松山がプレーしているのは日本で最もポピュラーな「フルーレ」だ。フルーレでは日本フェンシング界の第一人者である太田雄貴氏が2008年北京五輪で銀メダルを獲得し、続く2012年ロンドン五輪で男子団体が銀メダルを手にした。松山も「フルーレ」から競技を始め、「他の種目に魅力を感じなかったため」そのまま続けているという。

しばらく地元のスポーツセンターで練習していたが、7歳の時、創設されたばかりのワセダクラブに1期生として加入した。早稲田大学の早稲田キャンパス内に道場があり、指導者はすべて早稲田大学フェンシング部のOB・OGや現役部員。大きな大会にも出場するなど、すでに頭角を現し始めていた松山は、兄をはじめ年上の選手ばかりに囲まれた環境でさらに技を磨いていった。小学2年で全国大会優勝を飾ると、小学5年の時には全国大会における小学5、6年の部で2位となり、フランスで行われた国際大会に日本代表の一員として出場。このころから国際経験も積んでいった。

中学卒業までワセダクラブに所属し、高校はフェンシングの名門の東亜学園高校に進む。ここで松山は、全国高等学校総合体育大会の男子個人フルーレ、そして学校対抗で3連覇を成し遂げる。同時期には国立スポーツ科学センターでもトレーニングを積み、国内最高クラスの指導スタッフから技術を学んでいった。

「スター・ウォーズのように剣で戦えてかっこいい」。松山少年はすぐにフェンシングにのめり込んだ
「スター・ウォーズのように剣で戦えてかっこいい」。松山少年はすぐにフェンシングにのめり込んだ「スター・ウォーズのように剣で戦えてかっこいい」。松山少年はすぐにフェンシングにのめり込んだ

リオ五輪の現場で見た光景。尊敬する先輩のリベンジを誓う

高校卒業後の2015年、松山は早稲田大学に進学した。ワセダクラブ出身の松山にとっては「ホーム」とも言える環境であり、進学に際しては他の選択肢は考えなかったという。このころには男子団体フルーレの日本代表にも名を連ね、ワールドカップなどの大舞台にも立つようになっていた。

当面の目標は2016年リオデジャネイロ五輪への出場だったが、同年2月のW杯の団体では6位となり、出場権獲得にあと一歩届かなかった。一方で、同年4月に行われた世界ジュニア・カデ・フェンシング選手権で男子個人フルーレ3位、男子フルーレ団体優勝という実績を残すことができた。上述したとおり同年12月の全日本フェンシング選手権大会でも初優勝を飾るなど、オリンピック出場を逃したショックを感じさせない活躍も見せている。

実は松山は、出場こそしていないがリオデジャネイロ五輪を文字どおり「体感」している。男子個人フルーレに出場した太田氏のトレーニングパートナーとして現地に同行したのだ。

松山は小さいころから左手に剣を持って戦うサウスポーのフェンサーだ。どのスポーツでも左利きの選手は少ないため、太田氏は「サウスポー対策」として松山を指名し、リオデジャネイロに連れて行った。もちろん日本のフェンシング界の将来のために、松山にオリンピックの雰囲気を味わわせたいという思いもあったはずだ。

そんな松山が目撃したのは、尊敬する太田氏がまさかの初戦敗退を喫する姿だった。太田氏は敗戦後、現役引退を表明する。「自分のことのように悔しかった。2020年東京五輪で、自分がリベンジしてメダルを取る」。松山は決意を新たにした。

2016年五輪では尊敬する太田雄貴氏(左)の初戦敗退を目撃。「自分がリベンジしてメダルを取る」という気持ちが強まった
2016年五輪では尊敬する太田雄貴氏(左)の初戦敗退を目撃。「自分がリベンジしてメダルを取る」という気持ちが強まった2016年五輪では尊敬する太田雄貴氏(左)の初戦敗退を目撃。「自分がリベンジしてメダルを取る」という気持ちが強まった

得意技は「ジャンピング振り込み」

フルーレには「攻撃権」という概念があり、先に攻撃を仕掛けた選手にポイントを得る権利が与えられる。防御側は剣を払ったりたたいたり、相手の攻撃をストップさせたりすれば攻撃権を奪うことができ、攻撃権を持っていないと、有効打突を繰り出してもポイントにはならない。そのため、攻撃権を奪い合う目まぐるしくスピーディーな攻防が見どころとなり、競技者は攻撃権を得るために技術と頭脳を駆使しなければならない。

「相手の動きを読み、トリッキーな技で惑わせるのが楽しい」。そう語る松山は、「ジャンピング振り込み」という技を得意としている。剣のしなりを利用し、ジャンプしながら相手の背中を突くという華麗な技だ。「瞬間ごとに最もチャンスのある技を繰り出すようにしている」と語っているが、それだけの大技を繰り出せるところが松山の実力を物語っている。

同年代のライバルと切磋琢磨しつつメダルをめざす

引退した太田氏からは男子団体フルーレのキャプテンを任された。2020年東京五輪では、個人、団体でのメダル獲得をめざしている。団体でチームを組む敷根崇裕や西藤俊哉(ともに法政大学)といった同年代の選手たちは、個人戦ではメダルを争うライバルになり得る。

2017年7月の世界選手権の男子フルーレでは西藤が銀、敷根が銅メダルに輝き、松山は32位に終わっている。一方で8月に台北で行われたユニバーシアード夏季大会では、この3人に野口凌平(法政大学)を加えた4人で男子フルーレ団体に挑み、金メダルを獲得。個人では松山が銀メダルを獲得し、西藤は5位、敷根は13位、野口は16位。2020年の東京五輪に向けて切磋琢磨し合う状態が続いている。2019年1月1日時点での松山の現在の世界ランキングは35位だが、メダルをめざすなら1けた順位が当面の目標になる。

2018年度が早稲田大学フェンシング部としては最後の年になる。2019年春からは通い慣れた同部の道場ではなく、他の場所を拠点にトレーニングを積みながら「東京五輪モード」に入っていくつもりだという。生まれ育った東京の街で行われる祭典に日本のエースとして出場し、メダルを手にする。そんな夢を実現させるべく、彼は日夜、己と向き合うこととなる。

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