【プレイバック】「ミスターアマ野球」やアマチュア時代の松中信彦、井口忠仁、福留孝介らがアトランタ五輪の野球で銀メダルを獲得

1勝後に3連敗という最悪のスタート

2020年の東京五輪で競技種目として復活することが決まり、これまで以上に注目を集めているのが野球だ。今回はまだプロの参加が認められていなかった1996年アトランタ五輪を振り返る。日本の選手たちは苦戦を強いられながらも、銀メダルを獲得してみせた。

1996年アトランタ五輪の野球は社会人16名、大学生4名というメンバー構成で臨み、決勝の舞台まで進んだ
1996年アトランタ五輪の野球は社会人16名、大学生4名というメンバー構成で臨み、決勝の舞台まで進んだ1996年アトランタ五輪の野球は社会人16名、大学生4名というメンバー構成で臨み、決勝の舞台まで進んだ

予選リーグではアメリカに7回コールド負け

26度目の開催となった1996年のアトランタ五輪における野球競技の最終順位は、優勝がキューバ、準優勝が日本、そして3位がアメリカだった。

最終的に銀メダルを獲得した日本だったが、一時は出場8チームが総当たりで対戦する予選リーグ敗退の危機に見舞われる。予選リーグ第1戦のオランダ戦は12−2の7回コールドで圧勝発進したものの、続くキューバ戦、オーストラリア戦、アメリカ戦を落として3連敗を喫してしまった。

大会序盤はかなりの苦戦を強いられた。だが、その後、ニカラグア、韓国、イタリアを下して3連勝を飾り、通算4勝3敗の成績で決勝トーナメント進出を果たしている。

準決勝では予選リーグで5−15で7回コールド負けを喫したアメリカと再戦。5本の本塁打を放つなど打線が爆発した日本は、7回コールドとなる11−2でリベンジを果たす。同時に決勝戦へと駒を進めた。

決勝の相手はキューバ。立ち上がりから6点のリードを許す厳しい展開のなか、大会通算5本塁打の主砲、松中信彦の満塁ホームランなどで反撃したものの、最終的には9−13で敗れることになる。

大会後、プロ野球界でも活躍した松中信彦はアトランタ五輪で満塁ホームランを放つなど存在感を見せつけた
大会後、プロ野球界でも活躍した松中信彦はアトランタ五輪で満塁ホームランを放つなど存在感を見せつけた大会後、プロ野球界でも活躍した松中信彦はアトランタ五輪で満塁ホームランを放つなど存在感を見せつけた

「ミスターアマ野球」が抱き続けた夢

この大会まではアマチュア選手のみの出場に限るという規定だったため、川島勝司監督に率いられた日本は、選手20名のうち、社会人が16名、大学生が4名というメンバー構成で臨んだ。20名のうち、約半数が大会後にプロ入りすることになるが、なかでもチームの主軸を担ったのは、のちにプロ野球選手としてその名を球界にとどろかせることになる松中信彦(新日鐵君津)、井口忠仁(青山学院大学)、福留孝介(日本生命)、今岡誠(東洋大学)、谷佳知(三菱自工岡崎)らだった。

投手では、日本国内で「ミスターアマ野球」と注目を集めた杉浦正則(日本生命)が存在感を示した。1992年バルセロナ五輪で2勝を挙げた実績を持つ杉浦は、このアトランタ五輪でも2勝をマークして銀メダル獲得に貢献。プロ選手も参加可能となった4年後の2000年シドニー五輪でもマウンドに立ったピッチャーだ。

オリンピックでの力投や社会人野球での活躍により、毎年プロの球団から誘いを受けていたが、先述の異名のとおり、杉浦はアマチュア一筋で現役生活を全うした。ある取材で、その理由を本人はこのように述べている。

「当時はアマチュア選手しかオリンピックに行けなかった。オリンピックに行ってみると、金メダルが欲しくなる。もう一回行きたくなるような場所なんですね。また、国際大会で151連勝していたキューバの存在。そういう相手をオリンピックの大舞台で破って金メダルが取れたら最高だなと思っていました」

オリンピックおける金メダル獲得――その夢は、2020年の東京五輪、稲葉篤紀(あつのり)監督が指揮を執る「侍ジャパン」に託されている。

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