フレディ・マーキュリーも歌った五輪の公式テーマソング。「オリンピック賛歌」をよみがえらせたのは日本人だった

モントリオール五輪では15歳の少年が熱唱
英国の4人組ロックバンドのフレディ・マーキュリーもオリンピックの公式テーマソングを歌っていた
英国の4人組ロックバンドのフレディ・マーキュリーもオリンピックの公式テーマソングを歌っていた英国の4人組ロックバンドのフレディ・マーキュリーもオリンピックの公式テーマソングを歌っていた

近代オリンピックの第1回目から五輪と音楽は密接にかかわってきた。日本人が1964年の東京五輪に先駆けて新しい命を吹き込んだ「オリンピック賛歌」は以降、正式に採用され、スポーツの一大イベントを盛り上げてきた。公式テーマソングも4年に一度の祭典を華やかな旋律や迫力あふれる演奏で彩ってきた。

「オリンピック賛歌」は大会の開会式や閉会式で演奏されたり歌われたりする
「オリンピック賛歌」は大会の開会式や閉会式で演奏されたり歌われたりする「オリンピック賛歌」は大会の開会式や閉会式で演奏されたり歌われたりする

「オリンピック賛歌」はオーケストラ仕様でより雄大に

夏季と冬季のオリンピックの開会式や閉会式で演奏されたり歌われたりするのが「オリンピック賛歌」だ。国際オリンピック委員会(以下IOC)の総会などでも流れる。英語では「Olympic Hymn」や「Olympic Anthem」と呼ばれる。

「オリンピック賛歌」は近代オリンピックの第1回目を飾った1896年のアテネ五輪で初めて披露されている。ギリシャの詩人コスティス・パラマスが詞を手がけ、ギリシャの作曲家スピロ・サマラスが曲をつくった。ただ、「オリンピック賛歌」を使用するという明確な決まりはなく、他の曲が流れる大会もあった。何よりサマラスが手がけた楽譜は消失したと考えられていた。

1950年代、「オリンピック賛歌」を見事によみがえらせたのは日本人だ。偶然、賛歌の古い楽譜がギリシャで見つかると、ギリシャのIOC委員から1950年から1968年まで東京都知事と並行してIOC委員を務めていた東龍太郎のもとに譜面が届く。1964年東京五輪の招致運動の中心にいた東は、大会でのオーケストラの演奏を思いつき、NHK交響楽団にアレンジを依頼した。

さまざまな曲を世に送り出していた作曲家の古関裕而(ゆうじ)が、もともとピアノ用に書かれた譜面に新たな命を吹き込んだ。荘厳かつ雄大なオーケストラ仕様の曲に仕上げられた曲は、1958年5月に東京で開かれたIOC総会の開会式で演奏される。曲の壮大さはすぐにIOC委員たちの胸を打ち、以降「オリンピック賛歌」が公式に使用されることが決まった。

開会式では歌えなかったフレディ・マーキュリー

近年では「オリンピック賛歌」に加え、大会ごとに公式テーマソングを用い、四年に一度の祭典を盛り上げる傾向にある。

オリンピックにおける公式テーマソングは、1970年代以降から主流になっている。1972年の札幌冬季五輪で、日本人のポップデュオが歌う「虹と雪のバラード」が、1976年のモントリオール五輪ではまだ15歳のカナダ人歌手ルネ・シマールがフランス語で歌う「Bienvenue à Montréal」(邦題は「モントリオール讃歌」)がスポーツ観戦の楽しみ方に華を添えた。まだあどけなさが残るカナダ人のルネは大会後、日本でも高い人気を得ている。

ルネ少年の例が示すように、テーマソングは「誰が歌うのか」によっても注目度が異なる。オリンピックの歴史においても世界のロック史においても長く語り継がれるべきは、1992年のバルセロナ五輪だろう。

スペイン人のオペラ歌手モンセラート・カバリエとともに、その名も「Barcelona(バルセロナ)」を絶唱したのはフレディ・マーキュリーだ。「ボヘミアン・ラプソディ」や「ドント・ストップ・ミー・ナウ」などの名曲で知られる英国の4人組ロックバンドのフロントマンは、バルセロナ開催が決まって以降、ステージに立ち「バルセロナ」という地名を伸びやかな高音で歌い上げた。

だが、1992年7月25日、バルセロナ五輪の開幕式でテーマソングを歌ったのはスペイン人テノール歌手のホセ・カレーラスだった。フレディの姿はなかった。本来「Barcelona」を歌うはずだった男は1991年11月24日、HIV感染による合併症でこの世を去っていた。

2004年のアテネ五輪ではアイスランド人の歌姫ビョークが「Oceania」を歌った
2004年のアテネ五輪ではアイスランド人の歌姫ビョークが「Oceania」を歌った2004年のアテネ五輪ではアイスランド人の歌姫ビョークが「Oceania」を歌った

テーマソングを歌った「Muse」たち

古来、歌は女性と結びつけられてきた。オリンピック発祥の地ギリシャでは、ポリュヒュムニア、テルプシコレ、タレイアといった女神たちは歌にかかわり、彼女たちを含む9人姉妹は「Musa(ムーサ)」と呼ばれていた。英語では「Muse(ミューズ)」と言葉を変え、音楽を意味する「Music」の語源となっている。

歴史にしたがい、オリンピックのテーマソングも多くの女性歌手が歌ってきた。1996年のアトランタ五輪ではアメリカ人のグロリア・エステファンが「Reach」を、2000年のシドニー五輪ではオーストラリア人のティナ・アリーナが「The Flame」を熱唱。2004年のアテネ五輪ではアイスランド人のビョークが「Oceania」を、2008年の北京五輪ではイギリス人のサラ・ブライトマンが「我和你 (You and me)」を美声で響かせるなど、各時代の「Musa」が大会を盛り上げてきた。

2012年のロンドン五輪では、「Musa」に由来する「Muse」という名を冠した世界的人気を誇るロックバンドの「Survival」が公式テーマソングに選ばれている。Museのメンバーたちは閉会式で、炎が舞い上がる演出のなか熱のこもったパフォーマンスで「Survival」を奏で大会を見事に締めくくった。

2012年のロンドン五輪ではロックバンド「Muse」の曲が公式テーマソングとして採用されている
2012年のロンドン五輪ではロックバンド「Muse」の曲が公式テーマソングとして採用されている2012年のロンドン五輪ではロックバンド「Muse」の曲が公式テーマソングとして採用されている

ロンドン五輪では、伝説的なバンド、ビートルズが誕生した国らしく、Muse以外にも豪華ミュージシャンたちが参戦している。開会式や閉会式に、元ビートルズのポール・マッカートニーやワンダイレクション、リアム・ギャラガーを擁するビーディ・アイなど、英国ミュージックシーンを代表する音楽家たちが集結した。元ビートルズで、1980年12月8日に亡くなったジョン・レノンも映像で登場している。

ロンドン五輪には人気グループ、ワンダイレクションも登場した
ロンドン五輪には人気グループ、ワンダイレクションも登場したロンドン五輪には人気グループ、ワンダイレクションも登場した

竹原ピストルらが歌う「東京五輪音頭-2020-」

「オリンピック賛歌」を鮮やかによみがえらせた古関裕而は、1964年の東京五輪にも大きく貢献している。開会式の入場行進の時に演奏された演奏された「オリンピック・マーチ」を作曲した。

同大会でテーマソングとして使用されたのは「東京五輪音頭」だ。民謡の一種であり、日本らしさを感じさせるメロディーで、三波春夫や橋幸夫、坂本九や三橋美智也などが歌う複数のバージョンが存在した。

50年以上の時を経て、「東京五輪音頭」は再びオリンピックの舞台を彩る。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、歌詞も振りつけも2020年仕様となった「東京五輪音頭-2020-(TOKYO GORIN ONDO 2020)」を用意。歌うのは石川さゆり、加山雄三、竹原ピストルの3名で、車いすの方も楽しめるように、車いすバージョンの振りつけも準備されている。「東京五輪音頭-2020-踊り隊!」はすでに各地の祭りを訪れ、56年ぶりに東京で行われるオリンピックに向けて文字どおり音頭をとっている。

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