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三宅宏実 :自身5度目のオリンピック出場へ視界良好、トータル200kg超で集大成へ 

女子ウエイトリフティングの三宅宏実は2月28日、開校45周年を迎える母校の新座市立東野小学校で、全校児童約670人を前に特別授業を行った。講演後に、「たくさんの子供たちに元気をいただいた。東京五輪に向けて頑張る姿勢を見せたい」と力強く語ったことが、新聞などのメディアを通じて伝えられている。

自身5度目となるオリンピック出場を目指す三宅宏美

親子二代でオリンピック出場を果たしたサラブレッド

三宅宏実は1985年11月18日生まれ。埼玉県新座市の出身だ。現在はいちご株式会社に所属している。父は1968年メキシコ五輪のウエイトリフティングで銅メダルを獲得した三宅義行。そして、伯父は1960年ローマ五輪のウエイトリフティングで銀メダル、1964年東京五輪、1968年メキシコ五輪で金メダルを獲得した三宅義信氏という、ウエイトリフティングのサラブレットとして生まれた。三宅には二人の兄がいる。次兄はウエイトリフティングの男子77kg級で、全日本王者に輝いた実績を持ち、全日本女子ヘッドコーチも務めた三宅敏博氏。長兄もウエイトリフティング経験者という、まさにウェイトリフティング一家で育った。

三宅がウェイトリフティングを始めたのは中学3年生のときだ。それまでは音大出身の母の影響で、幼少期にはピアノを習い、部活動は軟式テニスに打ち込んでいた。しかし、シドニー五輪の女子ウェイトリフティングを観戦し、選手の姿に感動した三宅は、「自分もやってみたい」と思ったそうだ。それから父親の義行に、基礎からみっちりと指導を受けて、3カ月後には、父親が高校1年生のときに挙げた重さと同じ42.5kgを挙げて、その才能の片鱗をうかがわせた。

高校は次兄の母校でもあり、スポーツの強豪校として知られる埼玉栄高校に進学した。すると才能は一気に開花する。2年生のときに出場した全国高校女子選手権53kg級で優勝。翌年の全日本選手権でも優勝を成し遂げて、高校生ながら日本の頂点に輝いた。

そして、アテネ五輪を控えた2004年、父や伯父の母校である法政大学に進学すると、五輪での上位入賞を視野に入れ、階級を53kg級から48kg級に変更する。5月の代表選考を兼ねた全日本選手権で2連覇を達成し、見事に親子二代での五輪出場を実現した。

ロンドン五輪で自身最高の銀メダルを獲得

8年越しのメダルは快挙づくし

2004年アテネ五輪は9位と苦杯を喫し、続く2008年北京五輪は4位とメダルに手が届かなかった(大会終了時は6位だったが、上位選手のドーピングが発覚し、繰り上げ4位に)。とりわけ北京五輪は、本人がもっとも印象に残っている大会の一つに挙げている。そのときの光景は、今でも三宅の目に焼き付いているという。一瞬にすべてをかけるウェイトリフティングでは、精神力と調整力が勝負のカギを握る。この二大会で、メダルが取れなかったのは、期間中にピークを持ってくるように、コンディションの調整ができなかったことが、最大の理由だった。

北京五輪直後、結果がついてこなかったことから、今後について不安を感じたこともあったそうだ。ただ、ウェイトリフティングへの取り組みを根本から見つめ直し、また父との二人三脚で、再スタートを切ることにした。

その甲斐もあってか、その後のシーズンは充実したものだった。2009年全日本選手権の優勝を皮切りに、翌年の全日本選手権では、当時の53kg級日本記録で2連覇。さらに、その翌年も、自身の持つ記録を塗り替える207kgで3連覇を達成した。同年の世界選手権で6位につけるなど、確かな手応えを掴んで臨んだ2012年ロンドン五輪。見事に48kg級日本新記録となるトータル197kgをクリアし、銀メダルに輝いた。8年越しとなる念願のメダルは、日本の女子ウェイトリフティング史上初めて。また、日本五輪史上初となる父娘でのメダル獲得で、三宅のロンドン五輪は快挙づくしの結果となった。

前回のリオ五輪では銅メダルに輝いた

満身創痍の中、奇跡の銅メダル

ロンドン五輪の翌年、2013年に三宅は「東京2020オリンピック・パラリンピック招致アンバサダー」に任命された。また、2014年韓国の仁川で行われたアジア大会で、日本選手団の主将を務めるなど、名実ともに日本スポーツ界の「顔」となった。また、所属するいちご株式会社では、選手兼任のコーチに就任して、若手を指導することになった。しかし、三宅は大役を任された一方で、自身が参加した大会での記録は伸び悩んでいた。2014年の年末には、腰痛を発症して3カ月の休養を余儀なくされるなど、練習がままならない状態が続いた。

そうした中、2015年のリオデジャネイロ五輪の国別出場枠がかかった世界選手権で、三宅は銅メダルを獲得する。ロンドン五輪以来の表彰台で、4つの出場枠獲得に大きく貢献した。ただ、それ以降も、腰と膝の故障を繰り返し、不安を残したまま、リオデジャネイロ五輪の本番となる2016年を迎える。

希望から絶望、そして、再び希望。リオデジャネイロ五輪は、それまで三宅が過ごしてきた4年間を表すような大会となった。スナッチで81kgを2本連続で失敗するものの、3本目で成功を収める。ジャークは2本目の107kgを失敗とみなされながらも、3本目で成功し、銅メダルを獲得する。まさに奇跡と言える瞬間に、三宅自身が何度も飛び上がり、「ありがとう」の気持ちを込めてバーベルを抱きしめた。終わってみれば、2大会連続となるメダル獲得を達成。試合後「年齢が違うので、重みが違う。色は銅でも一番うれしい」と語り、父の義行氏も「本当によく挙げた!」と喜びを噛み締めた。

東京五輪は競技生活20周年。まだまだ挑戦は続く

リオデジャネイロ五輪後の1年間は、腰の治療も兼ねて休養にあてた。そして、2017年11月、実戦復帰となった日本選手権で優勝。昨年の世界選手権では、新しく再編された49kg級に出場し、9位に終わるものの、世界のトップの力を肌で感じることで、課題と収穫をしっかりと確認した。そして、三宅は3度目の表彰台を目指し、目標を200〜205kgに設定。あらためて東京五輪に向かって前進することを決意した。

東京五輪が開催される2020年に34歳を迎える。ウェイトリフティングを始めてからちょうど20年だ。これまで長年にわたって日本の女子ウェイトリフティング界を牽引してきた彼女について、度重なる故障などもあり、衰えを指摘する声も出ている。しかし、「東京は特別」と明言し、ロンドンとリオデジャネイロに続くメダル獲得に向けて、彼女の闘争心や向上心が尽きることはないだろう。三宅宏実は競技人生のすべてを、この東京五輪にぶつける覚悟を決めている。