【代表争いに秘められたストーリー】太田忍と文田健一郎:なぜ世代がかぶってしまったのか──レスリングの「2人の天才」が繰り広げた激闘

東京五輪に出るのは、リオでの「代表選手」ではなく「練習パートナー」

レスリング男子グレコローマン60キロ級における東京五輪の日本代表選考は、「世界一熾烈」と言っていいものとなった。リオデジャネイロ五輪銀メダリストの太田忍(おおた・しのぶ)と、2019年レスリング世界選手権王者の文田健一郎(ふみた・けんいちろう)。たった一つの出場枠をめぐって、大学の先輩と後輩である2人が激しい争いを繰り広げた。

太田忍(左)と文田健一郎(右)。「2人一緒に東京で金メダル」の夢は叶わなくなった
太田忍(左)と文田健一郎(右)。「2人一緒に東京で金メダル」の夢は叶わなくなった太田忍(左)と文田健一郎(右)。「2人一緒に東京で金メダル」の夢は叶わなくなった

同世代で同階級の「2人の天才」

「2人の天才」「日本の2枚看板」。レスリングの太田忍と文田健一郎は、同世代で同階級のライバルであり、同志でもある。

太田は1993年12月28日に青森県で生まれ、小学校1年生の時にレスリングを始めた。山口県の強豪、柳井学園高等学校、日本体育大学を経て2016年4月にALSOKに入社し。同社のレスリング部に所属することになった。

社会人1年目の太田は22歳の時、グレコローマン59キロ級でリオデジャネイロ五輪に出場する。それまで世界王者になった経験は一度もなかったが、初戦でロンドン五輪55キロ級金メダリストのハミド・スーリヤン(イラン)を撃破し、勢いに乗った。準決勝では前年のレスリング世界選手権銀メダリスト、ロブシャン・バイラモフ(アゼルバイジャン)にフォール勝ち。決勝で前年の世界選手権を制したイスマエル・ボレロモリナ(キューバ)に敗れたものの、太田は初出場のオリンピックで見事に銀メダルを獲得した。

一方の文田は1995年12月18日生まれで、山梨県出身。中学1年次から本格的にレスリングに取り組み、自身の父が監督を務める韮崎工業高等学校に進学すると、史上初の高校グレコローマン8冠を達成した。

その後、進学した日本体育大学では太田の2学年後輩にあたる。大学4年次の2017年8月、文田は世界選手権のグレコローマン59キロ級を制し、オリンピックと世界選手権を通じて日本人のグレコローマン最年少王者となった。卒業後の201年からはミキハウスのスポーツクラブで汗を流す。

2人は2019年6月、全日本選手権のグレコローマン60キロ級決勝で対戦。後輩の文田(赤)が4−1で先輩の太田(青)を退けた
2人は2019年6月、全日本選手権のグレコローマン60キロ級決勝で対戦。後輩の文田(赤)が4−1で先輩の太田(青)を退けた2人は2019年6月、全日本選手権のグレコローマン60キロ級決勝で対戦。後輩の文田(赤)が4−1で先輩の太田(青)を退けた

後輩をたきつけた先輩のオリンピック銀メダル

リオデジャネイロ五輪の時、2人の関係は「選手」と「練習パートナー」だった。文田は、敬意を込めて「忍先輩」と呼ぶ太田の練習相手としてブラジルに帯同した。

当時、後輩の文田にとってオリンピックは遠い舞台で、現実的に捉えることができていなかった。しかし、先輩である太田がメダルを獲得する姿を目の前で見たことが、彼の才能を触発した。それは同時に、熾烈な覇権争いの幕開けを意味していた。リオ五輪後、文田は12月の全日本選手権での初優勝を皮切りに、2017年の5月のアジア選手権優勝と6月全日本選抜選手権優勝、そして同年8月の世界選手権初優勝と、太田を凌ぐ存在へと急成長を遂げていった。

ともに母校の日体大を拠点に切磋琢磨し、以前は同じ国際大会に出場して現地で一緒に食事をすることもあった。しかし、いつしか2人は一緒に練習をしなくなり、距離を置くようになった。グレコローマンスタイル60キロ級で東京五輪に出場できる選手は、ただ一人。「世界一より日本一になるほうが難しい」と言われるほど、2人の争いは熾烈を極めた。

太田(右)は文田を練習パートナーに、リオデジャネイロ五輪の決勝まで進出。銀メダルに終わり、悔しさをにじませた
太田(右)は文田を練習パートナーに、リオデジャネイロ五輪の決勝まで進出。銀メダルに終わり、悔しさをにじませた太田(右)は文田を練習パートナーに、リオデジャネイロ五輪の決勝まで進出。銀メダルに終わり、悔しさをにじませた

2019年9月、東京五輪代表選考を兼ねた世界選手権のグレコローマン60キロ級代表権を勝ち取ったのは、文田だった。同大会でメダルを獲得すれば、オリンピック代表が内定する。太田は「負けろと思っています。自分が出たいから」と感情をストレートに表現しながらも、文田ならばメダルを獲れるだろうと実力を認めていた。だからこそ太田は、67キロ級への階級アップを見据え、63キロ級で同大会に出場。そして優勝を果たした。

太田が示したオリンピック出場への執念が、文田の闘争心にも火をつけた。もし、東京五輪代表選考が12月の全日本選手権までもつれ込んだら、再び太田に勝利するのは簡単ではない。ならば、この世界選手権でオリンピック出場を決めねばならない──。文田はプレッシャーに打ち勝ち、決勝に進出。東京五輪代表を内定させた。

文田(左から2人目)は2018年12月の全日本選手権で優勝。4カ月前にアジア王者となっていた太田を下して2年ぶりの日本一に返り咲いた
文田(左から2人目)は2018年12月の全日本選手権で優勝。4カ月前にアジア王者となっていた太田を下して2年ぶりの日本一に返り咲いた文田(左から2人目)は2018年12月の全日本選手権で優勝。4カ月前にアジア王者となっていた太田を下して2年ぶりの日本一に返り咲いた

階級変更も「2人で金メダル」の夢破れる

文田が東京五輪代表に内定した瞬間から、2人の関係性は変わった。

決勝戦の前、太田は文田に相手のロシア選手への対策方法を惜しみなく伝え、金メダル獲得を後押ししたという。そして帰国後は、文田に彼が得意とするローリング(寝技)のアドバイスを求め、文田も太田の得意技であるがぶり返しの技術を聞いた。それまではお互い隠し合ってきたことだったが、もう隠す必要はなくなっていた。

63キロ級で世界王者となった太田だが、同階級はオリンピックでは非階級のため、67キロ級での出場をめざし再出発した。身長165センチの太田が67キロ級で戦っていくには、身長やリーチで不利だったため、食事やウェイトトレーニングで体重を増やし、体力のレベルを上げる必要があった。そして迎えた2019年12月の全日本選手権。ここで優勝したうえで、年明けのアジア予選や世界最終予選を勝ち抜くことが必須だった。

しかし、結果はまさかの初戦テクニカルフォール負け。「1回戦負けなんか人生で経験したことない」という男が、涙を流した。「2人一緒に東京で金メダル」の夢は叶わなくなった。

なぜ世代がかぶってしまったのか──。

この思いは周囲だけでなく、互いの心の中に何度も浮かんだはずだ。「それで忍先輩が報われるとは思わないけど、金メダルを必ず獲得しなきゃいけない」。太田の思いも背負って、文田は東京五輪の舞台に立つ。

楽しめましたか?お友達にシェアしよう!