伊藤美誠、萩野公介、内村航平、田村亮子、岩崎恭子……オリンピックの歴史に伝説を残した十代の日本人メダリストたち10人

競泳ではわずか14歳の金メダリストが2人も存在

四年に一度行われるオリンピックは、世界屈指のアスリートたちが己の真価を発揮しようと全身全霊をかけて臨む舞台だ。経験値が高いほど成績が残せるイメージが強いが、必ずしもそうとは限らない。日本勢が初めてオリンピックに参加した1912年ストックホルム五輪からの約100年を振り返ると、十代でメダル獲得という偉業を成し遂げた若き日本人たちの奮闘が目を引く。

伊藤美誠(右端)は15歳で出場したリオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得している
伊藤美誠(右端)は15歳で出場したリオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得している伊藤美誠(右端)は15歳で出場したリオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得している

伊藤美誠(いとう・みま)

2000年10月21日静岡県生まれ

2016年リオデジャネイロ五輪銅メダル(卓球女子団体)

リオデジャネイロ五輪では、福原愛と石川佳純とともに「史上最強」と称されるメンバーとして卓球の女子団体で銅メダル獲得に貢献した。わずか15歳、初のオリンピックにもかかわらず、2歳11カ月から卓球を始め、10年以上のキャリアを持つだけに、大舞台にも臆することなくプレーした。シンガポールとの3位決定戦では福原とのダブルスに加え、フェン・ティアンウェイという実力者とのシングルスにも勝利してみせた。

2018年に発表された卓球女子の世界ランクでは7位につける。19歳で迎える2020年の東京五輪での活躍も見込まれ、再び十代の日本人メダリストとなる可能性は十分にある。

白井健三(右から2人目)は19歳で出場したリオデジャネイロ五輪の体操団体総合で金メダル獲得に貢献している
白井健三(右から2人目)は19歳で出場したリオデジャネイロ五輪の体操団体総合で金メダル獲得に貢献している白井健三(右から2人目)は19歳で出場したリオデジャネイロ五輪の体操団体総合で金メダル獲得に貢献している

白井健三(しらい・けんぞう)

1996年8月24日神奈川県生まれ

2016年リオデジャネイロ五輪金メダル(体操男子団体総合)

小学3年生の時に両親が立ち上げたクラブで体操のキャリアをスタート。神奈川県立岸根高等学校時代には16歳で日本代表に選出され、2012年のアジア体操競技選手権の男子種目別床運動では15.225点をたたき出し、優勝を果たした。

2014年には世界選手権で金メダルを獲得。17歳1カ月の優勝は同大会の男子史上最年少という記録だった。オリンピック初出場となったリオデジャネイロ五輪では、20歳の誕生日を約2週間後に控えて迎えた男子団体総合の決勝で床運動と跳馬を担い、金メダル獲得に貢献している。19歳で金メダリストとなった。

白井健三がルームメート内村航平の秘密を暴露

白井健三がルームメート内村航平の秘密を暴露

萩野公介は17歳の若さにして400メートル個人メドレーで銅メダルを手にした
萩野公介は17歳の若さにして400メートル個人メドレーで銅メダルを手にした萩野公介は17歳の若さにして400メートル個人メドレーで銅メダルを手にした

萩野公介(はぎの・こうすけ)

1994年8月15日栃木県生まれ

2012年ロンドン五輪銅メダル(競泳男子400メートル個人メドレー)

高校3年生の時に出場したロンドン五輪で世界中に強烈なインパクトを残した。2008年の北京五輪で8つの金メダルを獲得したマイケル・フェルプス(アメリカ)に競り勝ち、17歳の若さにして400メートル個人メドレーで銅メダルを獲得した。

続くリオデジャネイロ五輪では400メートル個人メドレーで金メダル、200メードル個人メドレーで銀メダルを手にし、成長を見せつけた。その後、痛みがあった右ひじを手術してやや足踏みが続いたが、2018年11月に行われた東京スイミングセンター招待公認記録会の400メートル個人メドレーでは1位の記録をマーク。2020年のメダル獲得にも注目が集まる。

19歳の時の内村航平(左端)。初のオリンピックで2つの銀メダルを首にかけた
19歳の時の内村航平(左端)。初のオリンピックで2つの銀メダルを首にかけた19歳の時の内村航平(左端)。初のオリンピックで2つの銀メダルを首にかけた

内村航平(うちむら・こうへい)

1989年1月3日福岡県生まれ

2008年北京五輪銀メダル(体操男子個人総合、団体総合)

初めてのオリンピックは2008年の北京五輪。日本体育大学の2年次、19歳の時に四年の一度の大舞台に立った。男子個人総合の決勝では第4種目の跳馬、第5種目の平行棒、最終種目の鉄棒で着実に得点を重ね、逆転で銀メダルを獲得している。日本人の個人総合でのメダル獲得は、具志堅幸司が金メダルを手にした1984年のロザンセルス五輪以降、24年ぶりの快挙だった。北京五輪では、冨田洋之や坂本功貴とともに団体総合でも銀メダルを手にしている。

オリンピックにはリオデジャネイロ五輪まで3大会連続で出場。個人総合と団体総合、種目別の「ゆか」を合わせて、3つの金メダルと4つの銀メダルを勝ち取っている。

田村亮子はオリンピック柔道では16歳331日の史上最年少メダリストとなった
田村亮子はオリンピック柔道では16歳331日の史上最年少メダリストとなった田村亮子はオリンピック柔道では16歳331日の史上最年少メダリストとなった

田村亮子(たむら・りょうこ)

1975年9月6日福岡県生まれ

1992年バルセロナ五輪銀メダル(柔道)

小学生から女子柔道の世界で頭角を現す。福岡工業大学附属城東高等学校に進学後の1992年2月にドイツで行われた国際大会で世界制覇を果たした。同年のバルセロナ五輪では女子48キロ級の決勝に進出。セシル・ノワク(フランス)に敗れ銀メダルに終わったものの、オリンピック柔道では16歳331日の史上最年少メダリストとなった。

1996年のアトランタ五輪でも銀メダル。2000年のシドニー五輪では「最高でも金、最低でも金」という意気込みで戦い、見事金メダルを獲得した。2003年12月にプロ野球選手の谷佳知(よしとも)と結婚し、谷亮子として臨んだ2004年のアテネ五輪でも金メダリストとなった。

岩崎恭子(右)は14歳で金メダリストに。「今まで生きてきたなかで、一番幸せです」という名言を残した
岩崎恭子(右)は14歳で金メダリストに。「今まで生きてきたなかで、一番幸せです」という名言を残した岩崎恭子(右)は14歳で金メダリストに。「今まで生きてきたなかで、一番幸せです」という名言を残した

岩崎恭子(いわさき・きょうこ)

1978年7月21日静岡県生まれ

1992年バルセロナ五輪金メダル(競泳女子200メートル平泳ぎ)

1992年7月27日、数日前に14歳になったばかりの少女は競泳女子の200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した。2分26秒65は当時のオリンピック新記録で、その快挙は世界中を驚かせた。14歳6日でのメダル獲得は日本人選手としての最年少記録だった。

レース直後、「今まで生きてきたなかで、一番幸せです」という本人のコメントも多くの日本人の記憶に刻まれているはずだ。1996年アトランタ五輪では平泳ぎの100メートルと200メートルに出場したものの、メダルには届かなかった。現役引退後の2010年にはユースオリンピックの競泳日本代表コーチを務めた。

池谷幸雄(いけたに・ゆきお)

1970年9月26日東京都生まれ

1988年ソウル五輪銅メダル(体操男子個人ゆか、男子団体総合)

清風中学時代には、1年生だけのメンバーで中学校体操競技選手権大会の団体優勝を果たすなど、早くから注目を集めていた。清風高等学校の2年次にはインターハイの個人総合で優勝。同年の1987年には全日本選手権に出場して、個人総合で3位、種目別の「ゆか」で優勝という結果を残し、オリンピック行きのチケットを手にした。

17歳で出場した1988年ソウル五輪では高校の同級生である西川大輔とともに躍動。団体総合と個人の「ゆか」で銅メダルを手にした。1992年のバルセロナ五輪でも団体総合で銅メダル、「ゆか」で銀メダルという成績を残している。

中田久美は本格的なキャリアから1年ほどで全日本に。18歳の時に出場したロサンゼルス五輪では銅メダルを獲得
中田久美は本格的なキャリアから1年ほどで全日本に。18歳の時に出場したロサンゼルス五輪では銅メダルを獲得中田久美は本格的なキャリアから1年ほどで全日本に。18歳の時に出場したロサンゼルス五輪では銅メダルを獲得

中田久美(なかだ・くみ)

1965年9月3日東京都生まれ

1984年ロサンゼルス五輪銅メダル(バレーボール女子)

2016年秋から全日本女子バレーボールの監督を務める中田久美は、またたく間にオリンピックの舞台に立った。中学2年生の時に「LAエンジェルス」というクラブでキャリアをスタートさせると、英才教育のなかですぐに才能を開花させ、中学3年生で全日本代表に抜てきされた。

18歳の時、セッターとして1984年のロサンゼルス五輪に出場し、銅メダル獲得を経験している。その後、ソウル五輪、バルセロナ五輪にも出場したが、オリンピックでのメダル獲得は1984年の一回のみにとどまった。ちなみにロサンゼルス五輪時のチームには中田に加え、廣紀江、大谷佐知子、宮島恵子と十代の若手選手が4人いた。

15歳の宮崎康二は1932年のロサンゼルス五輪で2つの金メダルを獲得してみせた
15歳の宮崎康二は1932年のロサンゼルス五輪で2つの金メダルを獲得してみせた15歳の宮崎康二は1932年のロサンゼルス五輪で2つの金メダルを獲得してみせた

宮崎康二(みやざき・やすじ)

1916年10月15日静岡県生まれ

1932年ロサンゼルス五輪金メダル(競泳男子100メートル自由形、800メートルリレー)

15歳で参加したロサンゼルス五輪の競泳では2つの金メダルを獲得している。競泳の100メートル自由形で58秒2を記録。ジョニー・ワイズミュラー(アメリカ)が持つオリンピック記録を更新してみせた。朝日新聞は「我が宮崎選手は必死となつて肉薄してくるアメリカのトリオを退け堂々と一着を占め」たと報じた号外を出している。

100メートル自由形の2日後に行われた800メートルリレーでも8分58秒4の世界新記録達成に貢献している。同大会において、17歳で競泳1500メートル自由形で銀メダルを獲得した牧野正蔵は同じ小学校の先輩にあたる。

北村久寿雄(きたむら・くすお)

1917年10月9日高知県生まれ

1932年ロサンゼルス五輪金メダル(競泳男子1500メートル自由形)

宮崎康二が大会を盛り上げたロサンゼルス五輪では、競泳1500メートル自由形で日本人の十代選手が金メダルを争った。14歳の北村久寿雄と17歳の牧野正蔵が激しく競り合う。金メダルを獲得したのは北村だった。従来の記録を40秒近く縮める19分12秒4という当時のオリンピック新記録をたたき出した。牧野は銀メダルだった。

北村はその後、現在の東京大学の前身となる東京帝国大学を卒業して労働省に入省。太平洋戦争に従軍後は、1958年のアジア競技大会の競泳日本代表監督や日本競泳連盟常務理事などを務めている。

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