大ケガから復帰し、ATPツアーで初優勝…西岡良仁、東京五輪出場は射程圏内

身長170センチ。2m近い長身選手が強烈なサーブを放つテニス界において、西岡良仁は、最も小柄なトッププレーヤーのひとりに挙げられるだろう。ボールに食らいつき、カウンターショットでポイントを奪うプレースタイル。そこには“錦織2世”などという言葉だけでは表せないほどの強い精神力があった。

西岡良仁は最も小柄なトッププレーヤーのひとり
西岡良仁は最も小柄なトッププレーヤーのひとり西岡良仁は最も小柄なトッププレーヤーのひとり

小学校時代から突出した才能。“錦織2世”として注目される

西岡良仁は1995年9月27日、三重県津市に生まれる。競技を始めたのは4歳のとき。父の範夫が経営するニックインドアテニスカレッジで、先に競技を始めていた兄の靖雄と練習するようになったことがきっかけだった。良仁は小学生低学年の頃から大会に出場。2007年、小学5年生のときに、ダンロップカップ全国選抜ジュニア選手権大会(12歳以下)、全国小学生選手権大会、ダンロップ全日本ジュニア選手権(12歳以下)で3冠を達成し、注目される。

津市立養正小学校卒業後、津市立橋北中学校に進学。全国選抜ジュニアテニス(U-14)では1年生のときにベスト4、2年生で優勝、全国中学生選手権大会では、1年生のときにベスト8、2年生のときにベスト4と結果を残す。2009年8月には、チェコのプロステヨフで開催された14歳以下の国別対抗戦、ワールドジュニア世界大会に出場。銅メダル獲得に貢献する。そして中学3年生のときに、盛田正明テニスファンドの支援を受け、アメリカに留学する。

盛田ファンドは才能のある10代前半の選手を発掘し、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーに送り出している。アカデミーの創設者であるニック・ボロテリーは、アンドレ・アガシやジム・クーリエ、モニカ・セレシュ、ウィリアムズ姉妹、マリア・シャラポワら、四大大会優勝者を育てた人物だ。盛田ファンドはジュニアを卒業する18歳まで、渡航費や滞在費、授業料を援助するが、ノルマをクリアできなかった場合は、支援を打ち切る。西岡は最後まで支援を受けることになったが、これは錦織圭についで二人目の快挙だった。西岡はIMGアカデミーでテニスを修行する一方、高校は錦織と同じ、広域通信制過程のある青森山田へ進学する。

また、西岡はアメリカやメキシコ、あるいは日本に帰国して、数々の大会に出場した。2012年、全米オープン・ジュニアの部では、シングルス、ダブルスともにベスト4の成績を残す。そして、2013年2月、メキシコで開催されたフューチャーズで初優勝。11月に開催されたニッケ全日本テニス選手権は決勝に進出するも、同じ三重県出身で7歳年上の伊藤竜馬に敗れ、2位に終わった。その悔しさをバネに、12月にはチリで開催されたフューチャーズの2大会で優勝を成し遂げた。

ジュニアながらツアー下部大会にあたるITFフューチャーズで3勝。2014年1月、西岡は高校卒業前にプロ転向を発表、ヨネックスと所属契約を結んだ。この時の世界ランキングは573位。西岡はプロ宣言後、フューチャーズよりも上のレベルの大会、ATPチャレンジャーツアーに参加するなどして、自身のランキングを急速に上げていく。

活躍が期待される中で大きな怪我を負ってしまう
活躍が期待される中で大きな怪我を負ってしまう活躍が期待される中で大きな怪我を負ってしまう

世界ランキングを駆け上がるも、不運なケガに見舞われる

2014年6月、札幌で行われたフューチャーズに出場すると、決勝で3歳年上の内山靖崇を破り、国内初優勝、通算5勝目を飾った。8月、全米オープンの予選を勝ち抜き、初のグランドスラム本戦出場を決定。1回戦ではパオロ・ロレンジ(イタリア)と対戦するも、無念の途中棄権となる。それでも自信を付けた西岡は、9月にロード・トゥ・ザ・上海マスターズ・チャレンジャーで優勝。そして、同月、韓国の仁川で開催されたアジア大会で、日本男子40年ぶりとなる金メダルを獲得し、全米オープンで準優勝を果たした錦織に続く逸材として、広く知られるようになる。2014年終了時の世界ランクは153位。

2015年2月、ATPワールドツアーのデルレイビーチ国際選手権で予選突破。本戦でも2勝を挙げ、ベスト8入りを果たした。5月の全仏オープンは予選を突破。二度目のグランドスラム出場となるも、1回戦でトマーシュ・ベルディハ(チェコ)に敗れる。同年8月の全米オープンでは、再び予選を勝ち抜くと、1回戦でポールアンリ・マチュー(フランス)に勝利。2回戦でトマス・ベルッシ(ブラジル)に敗れるも、グランドスラムで初めての勝利を挙げた。同月のデビスカップで錦織やダニエル太郎らとともに日本代表として出場。年末の時点で世界ランクを117位とした。

2016年1月には全豪オープン本戦に初出場を果たす。3月のマイアミ・オープン(マスターズ1000)では3回戦に進出。ドミニク・ティーム(オーストリア)に敗れるも、2回戦では世界ランク23位(当時)のフェリシアーノ・ロペス(スペイン)から勝利を収めるなど、強さを見せた。そして6月には全英オープン本戦に出場。ウィンブルドンに初出場を果たすも、1回戦で敗れる結果となる。しかし、翌月のニールセン選手権(チャレンジャーズ大会)で優勝。8月のアトランタ・オープンでは、自身初となるATPツアー・ベスト4を達成し、世界ランクを85位まで上げる。

2017年、ミキハウスと所属契約。3月には世界ランク70位となり、さらなる飛躍が期待されたが、突然のアクシデントが襲う。マイアミ・オープン2回戦で負傷棄権。左膝の前十字靭帯の単独断裂と診断され、長期離脱を余儀なくされる。

怪我からの復帰後、ATPツアー優勝を果たす
怪我からの復帰後、ATPツアー優勝を果たす怪我からの復帰後、ATPツアー優勝を果たす

復帰後にATPツアー初優勝を達成…東京五輪出場は射程圏内

2018年、西岡良仁は9カ月に及ぶリハビリ期間を経て、ようやくコートに戻ってきた。なかなか思うような結果を出せない中、9月の深セン・オープンに出場。3回戦以降は、すべて世界ランク100位以内の強豪だったが、決勝でピエールユーグ・エルベール(フランス)を破り、自身初のATPツアー初優勝を成し遂げる。

2018年のシーズン終了時点で西岡の世界ランクは75位。東京五輪に出場できるのは、2020年の全仏オープン終了時点で世界ランク上位56人までとなっている。国・地域ごとで最大4枠となっているため、必ずしも56位以内である必要はないが、これまで以上にツアーで結果を残し、順位を上げることが求められている。ケガから復帰し、ツアー優勝を成し遂げた西岡なら、東京五輪出場も夢でないだろう。

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