太田雄貴:フェンシングからスポーツ界に革命を起こす

フェンシングの「見える化」で未来を切り開く
2017年8月、31歳の若さで日本フェンシング協会会長に就任した
2017年8月、31歳の若さで日本フェンシング協会会長に就任した2017年8月、31歳の若さで日本フェンシング協会会長に就任した

剣を置いた後も、攻めの姿勢は変わらない。フェンシング界の第一人者にして、北京五輪の銀メダリストは今、日本フェンシング協会会長として、望むべき未来を手繰り寄せようとしている。太田雄貴が取り組む挑戦とは——フェンシングと同氏への取材歴を持つ『日刊スポーツ』の記者が、かつての「ニート剣士」の現在と、その視線の先に見据える未来を詳説する。

オリンピックには2004年から3大会連続で出場。日本のフェンシング界をリードしてきた
オリンピックには2004年から3大会連続で出場。日本のフェンシング界をリードしてきたオリンピックには2004年から3大会連続で出場。日本のフェンシング界をリードしてきた

「『ファーストペンギン』になりましょう」

2018年10月4日、日本フェンシング協会会長を務める太田雄貴は都内で約50人のビジネスパーソンへ、熱い思いをぶつけていた。「世界に先がけて、日本のフェンシング界から発信していきたい。僕と一緒に夢を描きませんか」

転職サイトを運営するビズリーチ本社で行われたのは、日本フェンシング協会の人材募集説明会。太田の狙いは、2020年東京五輪の先にあった。東京五輪後、国からの補助金は半減するかもしれない。その先は、自分たちで活動資金を集め、競技力を高めていく必要がある。「一般企業で普通に行われていることを、僕たちスポーツ団体はできていない。それを認めて、プロフェッショナルの方々に助けてもらいたい」と太田は話した。持続可能で健全な組織をつくるため、PRやマーケティングだけでなく「聖域」とも言える競技強化部門にも外部から兼業の人材を入れる。

「ざっくりと『金メダルを取る』だけではなく、しっかりと目標を設定し、そのための戦略を考え、実行する人。フェンシングの経験がなくても全く構いません」。オリンピック競技団体として、極めて異例の試みを始めようとしていた。「『ファーストペンギン』になりましょう」。敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛び込んで果敢に集団を動かす一羽のペンギンのように、というビジネスパーソンへの呼びかけは、自分を鼓舞する言葉にも聞こえた。現役を退いて2年。太田は今、フェンシング界にとどまらず、スポーツ界の新たな未来をつくろうと奔走している。

男子フルーレの選手として、日本フェンシング界に残した功績は計り知れない。18歳で出場した2004年アテネ五輪は3回戦で敗れたが、2008年北京五輪では個人で銀メダルを獲得。日本フェンシング界初のオリンピックメダリストとなった。当時、無職だったことで「ニート剣士」として注目を集めた。

2008年北京五輪ではフルーレで2位に。日本フェンシング界に初のオリンピックメダルをもたらした
2008年北京五輪ではフルーレで2位に。日本フェンシング界に初のオリンピックメダルをもたらした2008年北京五輪ではフルーレで2位に。日本フェンシング界に初のオリンピックメダルをもたらした

エースとしてチームを引っ張った2012年ロンドン五輪は、団体で銀メダル。燃え尽きて一度は競技を離れたが、東京五輪の招致活動に携わったことで、オリンピックへの気持ちが再燃する。まだ届かぬ金メダルと、団体チーム再建のため、1年以上の休養を経て復帰した。

2015年世界選手権では日本人初の金メダルを獲得。だが、第1シードとして迎えた2016年リオデジャネイロ五輪の個人戦では、まさかの初戦敗退に終わった。それでも「ずっこけて負けるのも僕らしいかな」と笑顔で剣を置いた。やりきった充実感があった。同年12月に行った引退会見では「幸せな現役生活でした。安心して後輩たちに任せられる」とすがすがしい表情で語った。

前年の6倍ものスポンサー料を獲得

それから半年ほどがすぎた2017年8月。31歳での日本フェンシング協会会長就任は、世間を驚かせた。「僕は、これまでも選択肢で言ったら苦しいほうを選んできました。(会長となれば)絶対きついのはわかっていましたが、傍観者ではいられなかった。ここで僕が変えよう、と思いました」

太田にはやりたいことがあった。フェンシングをより多くの人に知って、楽しんでもらうことだ。それまでどんなに自身の知名度を高めても、国内で行われる試合に人は集まらなかった。難解なルールも集客を遠ざけているように思えた。

「わかりやすくしないと、その先の駆け引きに目を向けて、楽しんでもらえない」。考えたのが、フェンシングの「見える化」だった。人気グループ「Perfume」の映像演出などを手がける真鍋大度氏の協力を経て制作したのが「フェンシングビジュアライズド」。剣先に特殊なテープを巻き、その軌道をデジタルの線で示すことで、どの攻撃が、点につながったかが一目でわかる。2013年の東京五輪招致プレゼンでこの映像を使用し、PRに成功。今は国内大会で試しながら、東京五輪での活用をめざしている。

フェンシングのエンターテインメント化は、これだけにとどまらない。2018年12月の全日本選手権では、各種目の決勝を初めて東京都・新宿区にある劇場「東京グローブ座」で行った。普段ミュージカル公演などで使用される円形の舞台にピストと呼ばれる試合場を設置。最新鋭の音響や照明を活用し、演出を工夫した。

今取り組んでいるのはフェンシングのエンターテイメント化。2018年12月の全日本選手権では演出にも力を入れた/時事
今取り組んでいるのはフェンシングのエンターテイメント化。2018年12月の全日本選手権では演出にも力を入れた/時事今取り組んでいるのはフェンシングのエンターテイメント化。2018年12月の全日本選手権では演出にも力を入れた/時事

同大会のポスターは人気写真家の蜷川実花氏に依頼。素肌をさらした男子エペの見延和靖、女子フルーレの東晟良(せら)の動きが美しく切り取られた。それらのPRが話題を集め、前年の6倍ものスポンサー料の獲得に成功。また、決勝のチケット約700席分は発売から40時間で完売した。

決勝当日。試合前にはDJやダンサーが盛り上げ、試合中は選手の心拍数やプレー映像がスクリーンに映し出される。その模様は、インターネットテレビ局「AbemaTV」で生中継された。選手、観客が一体となって楽しむ、新しい試合の形を示すことに成功した。

新しく華やかなプロジェクトの裏で、地道な活動も怠らない。2018年末の段階で国内のフェンシング競技人口は約6000人。それを10年後には5万人に増やすことを目標に掲げ、全国でフェンシング教室を開いている。また、北京五輪翌年からスタートさせた小学生対象の「太田雄貴杯」は2019今年で10度目を迎えた。子どもたちと直接剣を交わしかわし、フェンシングの魅力を伝え続けている。

2018年12月には日本人として初めて国際フェンシング連盟の副会長に就任した。2020年12月までの任期で掲げた目標は3つ。東京五輪のフェンシング会場を満席にし、声援で埋め尽くすこと、同大会を革新的なテクノロジーを駆使したものへ昇華すること、フェンシングの楽しさを、アジアを中心に広く伝えていくこと。フェンシングを通じて世界を変える太田の挑戦は始まったばかりだ。

文=高場泉穂(日刊スポーツ新聞社|Mizuho TAKABA)

東京五輪には招致活動にかかわった。国際オリンピック委員会総会でプレゼンターも務めている
東京五輪には招致活動にかかわった。国際オリンピック委員会総会でプレゼンターも務めている東京五輪には招致活動にかかわった。国際オリンピック委員会総会でプレゼンターも務めている

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