「奇跡の世代」石川祐希、ケガと向き合いながらイタリアで修行の日々

イタリア・セリエAでプレーする石川祐希。
イタリア・セリエAでプレーする石川祐希。イタリア・セリエAでプレーする石川祐希。

「インターハイ」、「国体」、「春高バレー」の3大会を2年連続で優勝する「高校6冠」という偉業を達成した石川祐希は、若くして全日本のエースとして期待される存在となった。現在、イタリアのセリエAでプレーする石川は、選手としての実力のみならず、その端正なルックスから、多くのファンの心を鷲づかみにしている。その一方で、腰や膝のケガと戦う毎日が続いている。23歳の若武者が目指す先は、もちろん2020年の東京五輪だ。

岡崎市に生まれたことが彼の運命を決めた

石川祐希は1995年12月11日、愛知県岡崎市に生まれた。父の幹尚は元陸上選手で、母のみどりは元バスケットボール選手。両親とも実業団に所属していた、いわゆる“スポーツ一家”で、幼い頃からスポーツ万能だった祐希が、最初に興味を持ったのはサッカーだった。矢作南小学校に入学したのは2002年、日韓共催FIFAワールドカップの年であり、どうやらそれが影響したようだ。しかし、地元にサッカーチームがなかったことから、小学校3年生から野球を始める。

祐希がバレーボールを始めるきっかけは、一歳年上の姉、尚美が所属していたバレーボール部を見学したことだ。岡崎市はバレーボールの盛んな土地柄で、祐希はバレーボールに打ち込むことになる。ちなみに、石川には現在高校3年生の妹がいるが、妹の真佑はバレーボールの名門、下北沢成徳高校のエースでキャプテンだ。

矢作南小の同学年には、現在ジェイテクトSTINGSに所属するセッターの中根聡太もいた。中根は当時から、石川がスパイクを打つ姿に才気を感じていたようだ。現在、191cmの石川だが、小学校6年生時点での身長は157cm。決して恵まれた体格とは言えなかった。

2008年、石川は中根とともに地元の矢作中学校に進学する。中学生になると、小学校時代以上に体格差がハンディキャップとなり、なかなかスパイクを決められない日々が続いた。そのため、石川はスパイクフォームを変えたり、瞬時にコースを狙い分けるようにしたり、相手のブロックを利用したりといった工夫を覚える。また、石川がコートに立ち続けるためには、レシーブ技術を身につけることも重要になった。こうしてバレーボールのセンスに磨きを掛けていくうちに、石川は成長期を迎えることになる。2年生で172cm、3年生で181cmまで身長が伸びた。

3年生になるとキャプテンを任された石川は、第40回全日本中学校選手権大会に出場して3位入賞を果たす。また、第24回全国都道府県対抗中学大会では、愛知選抜のキャプテンを任され、チームを準優勝に導くとともに、優秀選手に選出された。そして、矢作中のチームメイト中根と、愛知選抜でともに戦った川口太一(現在は豊田合成トレフェルサ所属)とともに、愛知県豊明市にあるバレーの名門、星城高校に進む。


バレーボールの名門・星城高校では輝かしい成績を残した。
バレーボールの名門・星城高校では輝かしい成績を残した。バレーボールの名門・星城高校では輝かしい成績を残した。

「奇跡の世代」で高校6冠を達成。大学一年で代表デビュー

石川らが在学した時代、竹内裕幸監督が率いる星城高校バレーボール部は「奇跡のチーム」、あるいは「奇跡の世代」と呼ばれる。高校のバレーボールでは、全国高校総体(インターハイ)、国民体育大会、全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)が3大タイトルだが、石川は2年生と3年生のときに連続で3冠を達成している。これは史上初の快挙であった。

1年生からレギュラーに抜擢された石川だったが、インターハイ準々決勝後に腹筋の肉離れを起こした。アタッカーとしてスパイクを打つ負担に、石川の身体の成長が追い付いていないことが原因だった。当時の身長は180センチ代の前半。竹内監督は身長がこれ以上伸びないことも想定して、石川が後衛に回ったときはセッターになるプランを立てた。2年生では、ウイングスパイカーとセッターを兼任。ウイングスパイカーの武智洸史と山崎貴矢、リベロの川口、ミドルブロッカーの神谷雄飛と佐藤吉之佑といった2年生中心のチームで高校3冠を達成する。高校3年生になると、石川は現在の身長となり、エースに固定。キャプテンも任された石川は、その才能を存分に発揮し、2年連続の高校3冠を達成した。

石川は高校時代、インターハイでベスト6表彰選手と優秀選手に2度、春高バレーで最優秀選手賞、優秀選手賞に2度選ばれている。また、2年生のときに出場した第9回アジアユース男子選手権大会でベストスコアラーを獲得。公式戦99連勝という記録で高校生活を締めくくっている。ちなみに、石川、中根、川口以外のチームメイトも、バレーボール選手として活躍中だ。武智は中央大学を経てJTサンダーズ、山崎は早稲田大学を経て堺ブレイザーズ、神谷は東海大学を経て豊田合成トレフェルサに入団している。

2014年、石川は武智とともに、元全日本代表の松永理生が監督を務める中央大学に進む。そして5月には、南部正司監督が率いる全日本に選出され、9月のアジア競技大会では主力の1人として準優勝に貢献した。12月の全日本バレーボール大学男子選手権大会(インカレ)では、チームを優勝に導き、自身も最優秀選手賞に輝いた。そして、初めてとなるイタリア留学を経験する。2015年はFIVBワールドカップの全日本メンバーにも選ばれた。全日本は6位に終わったが、石川はセカンドベストアウトサイドスパイカー賞を獲得する活躍を見せた。

そのルックスからファンの人気も高い。
そのルックスからファンの人気も高い。そのルックスからファンの人気も高い。

石川を待ち受けていたもうひとつの戦い

しかし、こうしたハードスケジュールに、石川の身体が悲鳴を上げた。2016年3月、リオデジャネイロ五輪出場の懸かる世界最終予選直前の強化合宿で、左膝の炎症により、別メニューを余儀なくされた。さらに6月の世界最終予選のオーストラリア戦で右足首をひねり途中退場。全日本も五輪出場を逃した。そして12月、インカレで3連覇達成後に、二度目のイタリア留学を果たす。一度目はセリエAの強豪モデナだったが、二度目は中堅のラティーナ。モデナでは、「お客さん」の状態で、ほとんど出番のなかった石川だったが、ラティーナでは出場機会を得る。

リオデジャネイロ五輪終了後、全日本の監督が交代し、中垣内祐一新監督が就任する。石川は新監督の下、2017年7月の世界選手権アジア最終予選の全日本メンバーに選出され、1位で世界選手権(世界バレー)出場のキップをつかむ。その後行われたアジア選手権で、全日本が優勝。石川は大会MVPに選出された。順風満帆に思われた石川だったが、2017年9月のワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)で、右ひざを負傷。大会前から腰痛を訴えていたこともあり、本来の力を出し切れないままに終わった。全日本も5戦全敗という結果だった。

そして、9月から再びラティーナに留学。3回目のイタリア挑戦は、シーズン開始からのチーム合流となった。そして12月、インカレ4連覇を目指して一時帰国した石川に立ちふさがったのは、かつてチームメイトだった。中根が所属する筑波大学と準決勝で対戦して敗退。3位決定戦で東海大学を破ったものの、石川にとっては悔しい結果となった。

プロ宣言。イタリア・セリエAでの3シーズン目

石川祐希は大学卒業後、プロを宣言し、2018年6月、セリエAのエマ・ヴィラ・シエナに入団することを発表した。7月に全日本に復帰し、9月に行われた世界バレーに出場するが、全日本は2勝3敗で1次リーグ敗退となった。

今、全日本男子バレーは世界の強豪を前に苦しんでいる。将来有望な才能あふれる若い選手たちを生かしきれていないように見える。そして、そのエースになることが期待される石川も、度重なる怪我に苦しみ、リハビリに追われている。石川の一番の課題は、彼のバレーボールセンスを受け止められるだけの身体を作り、怪我を未然に防ぐということではないか。石川はシエナの一員として存在感を発揮するなど、着実に成長している。全日本、そして日本男子バレー界の未来は、石川祐希という23歳の若者の双肩に掛かっている。

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