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寺内健:小学5年生で始めた飛込で「レジェンド」に。サラリーマン生活を経て、6度目のオリンピックへ【アスリートの原点】

一度は引退したが、北島康介からの声で現役復帰

文: オリンピックチャンネル編集部 ·

飛込の寺内健(てらうち・けん)は全競技を通じて東京五輪内定1号となった。2019年7月に韓国で行われた世界水泳選手権で、坂井丞(しょう)との男子シンクロ板飛込で7位に入った結果だ。2カ月後の9月には、個人種目の男子3メートル板飛込で個人でのオリンピック出場権も勝ち取った。6度目となる大舞台に挑む鉄人の歩みを紹介する。

オリンピック初出場は16歳の時。東京五輪はアトランタ五輪から数えて6度目の大舞台となる

小5で親元を離れ4カ月の中国合宿へ

寺内健(てらうち・けん)は1980年8月7日に兵庫県の宝塚市で生まれた。2020年の夏には40歳の節目を迎える。

自身は「“レジェンド”じゃないと思っています。出場回数は(日本人選手として)最多タイですが、複数の金メダルを持っている人が“レジェンド”じゃないでしょうか」と謙虚に語ったことがあるが、偉大な存在であることは間違いない。

飛込の演技時間はわずか1.6秒。決められた高さの飛込台からプールに飛び込み、入水までに技を繰り広げる。寺内はもともと高さ10メートルの台から飛び込む「高飛込」の選手だったが、20歳での転向以降は、3メートルに設置された弾力のある板から飛び込む「板飛込」を専門としている。

幼いころから飛込を習っていたわけではない。初めてプールに出向いたのは生後半年で母親に連れていかれたベビースイミング教室だった。それ以来、元飛込競技選手の馬淵良&かの子夫妻が経営するJSS宝塚スイミングスクールに週に数回通っていた。

転機が訪れたのは小学5年生の時だ。当時身長が140センチもなく小柄だった寺内少年は、競泳では同級生に太刀打ちできないと考えていた。時を同じくして、声をかけてきたのが馬淵崇英コーチだ。

中国出身の厳しいコーチは、すでにオリンピックを視野に入れていた。転向からわずか数カ月後、小学5年生の2月に突然中国への長期合宿に連れて行かれた。親元から離れ初めての環境で、毎日11時間の猛練習。予定されていた3カ月半の日程が終わり、やっと帰れると思った矢先、1カ月の延長が決まった際には愕然とした。ただ、今となればコーチや家族の判断に感謝しているという。

「電話口で、帰りたいって大泣きする僕に母親は、『あと1カ月やん。3カ月半がんばれたんだから大丈夫』って」。後から聞くと母も「今すぐ連れて帰りたい」気持ちだったというが、背中を押してくれた母の強さに勇気をもらった。

2006年、ドーハで行われたアジア競技大会では板飛込で銅メダルを獲得している(左端)

16歳で初のオリンピックに出場

厳しいトレーニングのかいもあり、めきめきと実力をつけると、宝塚市立光が丘中学校2年次に日本選手権水泳競技大会の高飛込で当時史上最年少での初優勝を果たす。1996年、此花学院高等学校(現 大阪偕星学園高等学校)の1年次にはアトランタ五輪に出場。高飛込で決勝に進出し、10位に入った。

練習や大会が忙しく、学校に行けないこともあったが、自主学習で授業の遅れを取り戻した。「人間として成長しなければ成績も良くならないし、誰からも応援されない」というコーチの言葉を胸に刻み、学業も疎かにはしなかった。

シドニー五輪では高飛込で5位、板飛込で8位入賞。アテネ五輪では板飛込のみに出場して8位、北京五輪では同競技で11位に終わり、2009年4月には現役引退を発表した。

競技に没頭して生きてきた。それだけに、社会の中で生きていけるのか不安があったという寺内は、2年間サラリーマン生活を送ったが、北島康介からの「健ちゃん戻ってこないの?」の一言で気持ちが変わった。

2011年に復帰し、リオデジャネイロ五輪で大舞台に戻ってきた。結果は板飛込で予選20位。悔しさが募った。「東京では5大会成し得なかった思いをぶつけたい」。不惑間近の男の視線は、悲願のメダルを見据えている。

選手プロフィール

  • 寺内健(てらうち・けん)
  • 競泳 飛込競技選手
  • 生年月日:1980年8月7日
  • 血液型:A型
  • 出身地:兵庫県宝塚市
  • 身長/体重:169センチ/68キロ
  • 出身校:光が丘中(兵庫)→此花学院高(大阪)→甲子園大(兵庫)
  • 所属:ミキハウス
  • オリンピックの経験:1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪、2008年北京五輪、2016年リオデジャネイロ五輪
  • ツイッター:寺内健(@terauchiken)
  • インスタグラム:寺内 健 ken Terauchi(@ken_terauchi_87)

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