山田哲人:少年時代は「もう野球はやらない!」。万能の内野手は今、通算3度の「トリプルスリー」を引っさげ東京五輪出場を夢見る

2014年には、日本人右打者シーズン最多安打を記録

「すごく出たい気持ちがあります」。2020年東京五輪出場を熱望するプロ野球選手の一人が山田哲人(てつと)だ。東京ヤクルトスワローズで活躍する右投げ右打ちの内野手は「トリプルスリー」という偉業を3度にわたって成し遂げた。名実ともに日本野球界をけん引する彼の技術と経験がオリンピックという大舞台で生きる可能性は極めて高い。

2018年の日米野球でもプレー。二塁での守備にはアメリカのメディアも称賛を送っている
2018年の日米野球でもプレー。二塁での守備にはアメリカのメディアも称賛を送っている2018年の日米野球でもプレー。二塁での守備にはアメリカのメディアも称賛を送っている

小学生時代、初体験の野球では……

「トリプルスリー」

この言葉が代名詞と言っても過言ではないだろう。同一シーズンに打率3割以上、30本塁打以上、30盗塁以上を達成するというこの離れ業を、山田哲人(てつと)は史上初の2年連続、さらには通算3度もマークしている。

1992年7月16日、兵庫県豊岡市で生まれた。今や日本プロ野球界の顔の一人となった彼の野球人生は、小学2年生の5月に始まった。父、知規(とものり)さんの転勤により移り住んだ兵庫県宝塚市で、友人に誘われたことをきっかけに硬式野球チーム、宝塚リトルリーグに入部した。

幼いころからさまざまなスポーツに親しんだ山田は、運動神経に優れた少年だった。水泳、体操、空手などを経験し、少年サッカー大会では得点王に輝いたこともあった。

ただ、運動神経が抜群な少年にとっても、初体験の野球はそう甘くなかったようだ。入団した野球チームでの初練習の際にはこんなエピソードがある。バットを握ってスイングするものの、どうやっても飛んでくるボールをとらえることができない。山田少年は「もう野球はやらない!」と言い、泣きながらその場を去っていったという。

山田にとって最初の監督にあたる李相鎬(そうこう)さんは、宝塚リトルリーグ時代の山田を指して「完璧主義者」とマスコミの前で話したことがある。その後、恩師が表す性格のとおり、完璧をめざして懸命の努力を重ねた山田は、急速にチームの主力へと成長していく。そして小学校の文集にこう記した。

「プロ野球選手になって、2000本安打達成」

以降、山田はこの目標に向かって邁進していくことになる。

プロ4年目からヤクルトの主軸へ

大阪の名門、履正社高等学校から2011年に東京ヤクルトスワローズに入団。プロ1年目のシーズンは一軍公式戦の出場機会はなかったが、中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズ(以下CS)のファイナル第2戦にスタメンで起用された。高卒ルーキーがCSに先発出場を果たすという大抜擢だった。

プロ2年目はレギュラーシーズン26試合、3年目に94試合と着々と出場試合数を伸ばし、4年目からヤクルトの主軸として絶対的な地位へと登りつめる。2014年シーズンには、日本人右打者シーズン最多安打記録となる193本を更新すると同時に打率3割2分4厘を記録。さらに29本塁打、89打点、15盗塁という堂々の成績を残した。

2015年シーズンには打率3 割2分9厘、38本塁打、100打点、34盗塁の成績でトリプルスリーを達成。翌2016年シーズンも打率3 割0分4厘、38本塁打、102打点、30盗塁と、プロ野球史上初めてとなる2年連続でのトリプルスリーを成し遂げた。2017年シーズンは個人成績がやや低迷したものの、2018年シーズンは再び快音が聞かれるようになり、打率3割1分5厘、34本塁打、89打点、33盗塁で自身3度目となるトリプルスリーを達成した。

プロ入りから2018年シーズンまでの通算成績を見ると、8シーズンで822試合に出場し、打率3割0分1厘、167本塁打、485打点、135盗塁という偉大なる数字を残している。安打数は通算927本。すでに小学生時代に掲げた目標の約半分まで記録を伸ばしつつある。

2017年のWBCでは7試合に出場し、27打数8安打。2本の本塁打も放ち、存在感を示した
2017年のWBCでは7試合に出場し、27打数8安打。2本の本塁打も放ち、存在感を示した2017年のWBCでは7試合に出場し、27打数8安打。2本の本塁打も放ち、存在感を示した

2020年東京五輪への思い

2018年に2年ぶり通算3度目となるトリプルスリーを成し遂げた山田は、2019年シーズンのペナントレースを重要なものと位置づける。チームとしては4年ぶりのリーグ制覇、個人としては2018年シーズン以上の成績をめざすのはもちろん、山田はその先にある2020年東京五輪出場を視野に入れている。

オリンピックにおいて野球が正式種目として行われていたのは、1992年バルセロナ五輪、1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪、2008年北京五輪までの5大会。2020年には追加種目として復活する。

開催が迫る東京五輪に向けて、山田はメディアの前でこう語ったことがある。

「すごく出たい気持ちがあります。日本でオリンピックが開かれることはなかなかないことだし、そのころ(2020年)に自分は28歳。脂の乗り切ると言われる年齢なので、こんな偶然はなかなかない」

日本にとって、正式種目の野球のオリンピックでの最高順位は1996年アトランタ五輪の準優勝。山田もメダル獲得を夢見ている。

「オリンピックのメダルが欲しいという気持ちはあります。メダルを取って自慢できるようにしたい」

そのためにも、ペナントレースには例年以上にモチベーションを高めて臨むつもりだ。日々の積み重ねが目標達成への近道だと実感している。

「この1、2年のシーズンは絶対に成績を残さないといけない。チームのことも考えながら、『オリンピックに出たい』という気持ちも持ってがんばりたい」

日本代表は、世界野球ソフトボール連盟主催による2015年のWBCSプレミア12や2016年の強化試合、そして2017年のワールド・ベースボール・クラシックなどで経験済み。かつて「もう野球はやらない!」と泣いた少年は今、「世界を舞台に戦いたい」という野心を胸に野球人生を送っている。

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