自由な発想で自らを高める日本短距離界の第一人者

山縣亮太(やまがた・りょうた)は子どものころから短距離走の才能を発揮していた。「強豪校から実業団へ」という王道のルートではなく、自らと向き合い、考え、トレーニングを実践できる環境を歩み続けたことで記録を伸ばしてきた。桐生祥秀に次ぐ日本人2人目の100メートル走9秒台突入は、目前に迫っている。

9秒台は目前。山縣の持ち味は、世界一とも言われるスタートダッシュの反応の良さだ
9秒台は目前。山縣の持ち味は、世界一とも言われるスタートダッシュの反応の良さだ9秒台は目前。山縣の持ち味は、世界一とも言われるスタートダッシュの反応の良さだ

ほぼ無風状態でたたき出した10秒00

あとほんの少し条件が良ければ、桐生祥秀(きりゅう・よしひで)に次ぐ日本人史上2人目の9秒台をたたき出していたかもしれない。しかし、わずか100分の1秒、届かなかった。1度だけでなく、2度までも――。山縣亮太(やまがた・りょうた)の前には、「10秒00」という数字が高い壁となって立ちはだかっている。

1度目は2017年9月24日の全日本実業団対抗陸上競技選手権大会。その直前、9月9日の日本学生陸上競技対校選手権大会では、桐生が日本人として初めて10秒の壁を破り、9秒98のタイムをたたき出していた。期待と注目が集まるなかで、山縣は10秒00を記録した。

陸上短距離と跳躍の種目では、公平を期すために追い風2メートル以上の条件で出した記録は「参考記録」扱いとなり、公式記録にはならない。桐生が9秒98を出した時は、追い風1.8メートルというこれ以上ない条件で走ることができた。まさに「天が味方した記録達成」と言えるだろう。

ひるがえって山縣が10秒00を出した時は、追い風わずか0.2メートル。ほぼ無風状態だった。もし、桐生の時と同じ追い風1.8メートルという条件で走っていれば、9秒台はもちろん、桐生の記録を確実に塗り替えていたと言う人間もいる。

わずか7センチ足りず、9秒台突入ならず

翌2018年8月26日、インドネシアで行われたアジア競技大会の男子100メートル決勝で、山縣は再び10秒00を記録し、銅メダルを獲得した。この時は追い風0.8メートルで、またもや風の恩恵を受けることはできなかった。

さらに悔しさが募ったのは、詳細なタイムが明らかになった時だった。このレースでは山縣とトシン・オグノデ(カタール)が10秒00の同タイムだったため、1000分の1秒までの数字が発表され、そこで順位が決められた。オグノデのタイムは9秒995、そして山縣のタイムは9秒997。わずか1000分の3秒ではあるが、山縣は10秒00の壁を突破し、9秒台に突入していた。

しかし、陸上の公式記録では1000分の1秒は切り上げられてしまうため、山縣の公式記録は10秒00となった。あと1000分の7秒、距離にしてわずか7センチ速くゴールしていれば、記録は9秒99として残るところだった。「気持ちのなかでは悔しさが7割」。レース直後、山縣は悔しさをにじませた。

大学2年次の2012年にはロンドン五輪に出場。100メートルでは自己記録を更新する10秒07をマークした
大学2年次の2012年にはロンドン五輪に出場。100メートルでは自己記録を更新する10秒07をマークした大学2年次の2012年にはロンドン五輪に出場。100メートルでは自己記録を更新する10秒07をマークした

独自のキャリアで個を磨き、記録を伸ばす

1992年6月10日、広島県広島市で生まれた山縣は、いわゆる「天才」の部類に入るスプリンターだ。小さいころは野球少年で、地元の広島東洋カープの大ファン。野球選手が将来の夢だった。

しかし、小学3年生の時に転機が訪れる。2歳年上の兄が陸上大会に出場して8位に入賞し、大きな賞状を持ち帰ってきたトロフィーやメダル、賞状が大好きだった山縣は「僕もこの大会に出る」と決意し、翌年、小学4年生の時に大会に出場。結果は圧倒的な走りでの優勝だった。他の選手は陸上の経験者で、スパイクシューズ着用。かたや山縣は陸上大会初出場で、足元は普通のスニーカー。それでも山縣の圧勝だった。「ああ、自分の得意なことはコレなんだ」。彼は走りながらそう思いすらしたという。

これで地元の有力陸上クラブ「広島ジュニアオリンピッククラブ」からスカウトを受けた山縣は、本格的に陸上を始め、めきめきと頭角を現していく。そのような選手であれば、陸上の推薦で高校や大学に進学するものだが、山縣のキャリアは一味違う。

中学受験で広島市にある修道中学に合格し、そのまま修道高校に内部進学。大学はAO入試で慶應義塾大学の総合政策学部に進学した。修道中学は偏差値60以上の名門校だが、陸上に取り組みながら塾通いもしていた山縣にとって中学受験は何ら特別なことではなく、陸上部があったから、という理由で修道中学を選んだという。

進学先に選んだ慶應義塾大はスポーツ推薦の枠を設けていないため、全国から屈指のスプリンターが集まるような環境ではない。しかし山縣は「この自由な環境なら、自分で考えて練習ができる」と考え、迷わずに進学を決めたという。実際、彼は大学進学後、武道の精神を学ぶために空手の道場にも通い、心の鍛錬に努めている。自ら考え、行動できる環境は、山縣の才能を伸ばすのに最適な場所だった。

大学卒業後の就職先として選んだセイコーも、山縣にうってつけの環境と言えるだろう。社員契約はしているものの、同社には陸上部が存在せず、山縣は自らトレーナーを雇って独自のトレーニングを続けている。出勤するのは月に1日だけでよく、あとはタイムを縮めるために日々、研究と鍛錬を重ねている。2017年と2018年の10秒00は、その成果と言えるだろう。

2度目のオリンピックとなったリオ五輪では4×100メートルリレーで銀メダルを獲得した
2度目のオリンピックとなったリオ五輪では4×100メートルリレーで銀メダルを獲得した2度目のオリンピックとなったリオ五輪では4×100メートルリレーで銀メダルを獲得した

リレーで銀メダル獲得。10秒00の壁突破は目前に

山縣は過去2回、オリンピックに出場している。大学2年次の2012年にはロンドン五輪に出場し、男子100メートルでは準決勝進出、男子4×100メートルリレーでは4位という好成績を収めた。100メートルでは当時の自己記録を更新する10秒07で駆け抜けた。2016年リオデジャネイロ五輪では、男子100メートルの準決勝で再び自己ベストを更新する10秒05をマーク。大舞台でベストの走りができるのが彼の強みと言えるだろう。そしてまだ記憶に新しい男子4×100メートルリレーでは第1走を務め、抜群のスタートダッシュを披露。飯塚翔太、桐生、ケンブリッジ飛鳥とバトンをつないで見事に銀メダルを獲得した。

山縣の持ち味は、世界一とも言われるスタートダッシュの反応の良さにある。近年は体幹トレーニングの成果で後半になっても体軸がブレず、加速したままゴールできるようになった。自ら考え、研究を重ねながらトレーニングを続けてきたおかげで、10秒0台のタイムはコンスタントに出せるようになってきた。

10秒00の壁は目前。2020年東京五輪でその壁を突破するのも理想的なシナリオの一つだが、「9秒台ランナー」として東京五輪に挑むという流れも、美しいストーリーと言えるだろう。

楽しめましたか?いいねまたは友達とシェアしよう!