度重なる負傷で崖っぷち。長岡望悠は“火の鳥”のごとく蘇れるか

怪我からの復帰を目指す長岡望悠。
怪我からの復帰を目指す長岡望悠。怪我からの復帰を目指す長岡望悠。

2018年12月、左ひざの検査を受けるため、イタリアから帰国した長岡望悠。その怪我の詳細が明らかになった。左ひざ前十字靱帯損傷で全治8カ月という診断。2017年3月に同じ部位で同じ故障をしていた。長く苦しい治療とリハビリを乗り越えて、2018年8月に全日本に復帰したばかりだった。左利きのアウトサイドヒッターは“火の鳥NIPPON”に欠かせないポイントゲッターだけに、今回の故障は、本人にのみならず、東京五輪での躍進を目指す全日本にとって、大きな痛手となるかもしれない。

東九州龍谷で高校3冠を達成。全日本選手権ではVリーグ勢も打ち破る

長岡望悠は1991年7月25日、福岡・山川町(現みやま市)に、3人姉妹の末っ子として生まれた。競技を始めたのは、山川東部小学校に通う2年生のときだ。真ん中の姉が山川ジュニアバレーボールクラブに所属しており、その練習を見学したのがきっかけだった。中学校は地元の山川中学校に進学。バレーボール部に所属していたが、県大会までは行けなかった。しかし、次第に長岡は注目されるようになる。

2007年、バレーの強豪である大分県の東九州龍谷高校に進学した。1年生のときから、高校バレーの3大大会、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)、国民体育大会(国体)、全国高等学校選抜優勝大会(春高バレー)に出場する。春高バレーで長岡は活躍し、長岡と同期の1年生のセッター、栄絵里香(現久光製薬スプリングス)とともに、2年ぶりの優勝に貢献した。また、2007年5月にタイで開催された第6回アジアユースバレーボール女子(U-18)選手権大会では、ベストスパイカーとMVPを獲得。華々しい高校デビューを飾った長岡だったが、2008年1月、がんで闘病中だった父の経国さんを亡くしている。

2008年、東九州龍谷はインターハイを制するも、地元開催の大分国体は2回戦で誠英高校に敗れて高校3冠を逃した。長岡はジュニア代表として、第14回アジアジュニア女子バレー選手権に出場し、優勝に貢献している。

そして、2009年3月、2年生で迎えた春高バレーで連覇。8月のインターハイ、国体も制して、悲願の高校3冠を達成する。東九州龍谷の勢いは、ここからさらに加速する。2009年、その年の日本一を決める天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会で、九州ブロック代表となると、11月のセミファイナルラウンドで、当時Vチャレンジリーグ(2部相当)の三洋電機レッドソア(現在廃部)に勝利を収める。そして、ファイナルラウンドでは、NECレッドロケッツ、パイオニアレッドウィングスといったV・プレミアリーグ勢を撃破して準決勝まで進出、この大会で優勝する久光製薬スプリングスに1-3で敗れたが、1セットを取る健闘を見せた。



全日本では栗原恵から背番号1を受け継いだ。
全日本では栗原恵から背番号1を受け継いだ。全日本では栗原恵から背番号1を受け継いだ。

眞鍋ジャパンで台頭!プリンセス・メグの「1」を引き継ぐ

2010年1月、久光製薬は長岡の入団内定を発表した。長岡の身長は179cm。最高到達点308センチから放たれるスパイクは強力で、なによりもサウスポーであることが武器だった。当然、全日本からも注目され、9月に中国で開催される第2回アジアカップ女子大会のメンバーに選出された。安保澄監督率いるB代表という位置付けだったが、チームは4位となる。また、10月下旬から11月に日本で開催された世界選手権(世界バレー)で、全日本は銅メダルに輝く。長岡は全日本メンバーに選出されなかったが、32年ぶりのメダル獲得に、日本中が興奮。そうした中で、長岡はVリーグ初出場を迎える。

2010年12月4日、第3戦の対NECレッドロケッツで途中出場。デビュー戦は1-3で敗れたものの、試合の流れを引き戻すプレーを見せるなど、十分に存在感を発揮した。しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で、このシーズンのリーグは途中で終了。最優秀新人賞は同僚の新鍋理沙が獲得したものの、26試合中18試合に出場するなど、満足できる働きを見せた。2011-12シーズンはレギュラーラウンドからファイナルラウンドまで、全試合出場した。しかし、2012年のロンドン五輪の全日本メンバーには選出されず。長岡が主力として台頭するのは、眞鍋政義監督が新戦術を取り入れる2013年以降だった。

眞鍋監督は2013年11月のグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)で新戦術「MB1」を披露。ミドルブロッカー(MB)を2人から1人に減らし、攻撃力を増すことを目的としていた。この新戦術が功を奏し、2013年のグラチャンは3位で終える。2014年、戦術は「ハイブリット6」に進化。攻撃陣はポジションを固定せず、1人が複数のポジションをこなすというものだ。2018年8月のFIVBワールドグランプリから実戦で使用され、日本は2位となる。この新戦術で軸となったのが、エースだった栗原恵から背番号1を引き継いだ長岡だった。

こうして全日本でエースとなった長岡だが、その予兆はすでにV・プレミアリーグで現れていた。2012-13シーズンで久光製薬は優勝。長岡はMVPに輝き、ベスト6に選出される。また、長岡は2016-17シーズンまで、5季連続でベスト6入り。久光製薬もこの間、三度の優勝を達成した。そして、2016年にはリオデジャネイロ五輪に出場。準々決勝でアメリカ合衆国代表に敗れたものの、5位入賞という成績を残した。

長岡望悠(左)と石井優希。
長岡望悠(左)と石井優希。長岡望悠(左)と石井優希。

選手生命にかかわる大ケガと復帰に向けてリハビリに励む日々

順風満帆の競技人生を送っていた長岡に2017年3月、突然、悲劇が襲う。V・プレミアリーグの試合中、スパイクの着地でひざを捻った。そのまま起き上がることができず、途中退場して病院に搬送される。診断結果は左ひざ前十字靱帯損傷。選手生命にかかわる負傷で、長岡自身も「怪我した瞬間のイメージが残っていて、なかなか抜けられなかった」と語っている。手術と懸命なリハビリを続け、コートに戻るまで1年以上を要した。

そして長岡は2018年5月の黒鷲旗全日本選抜選手権で試合に復帰。8月のアジア大会で、中田久美監督率いる全日本のメンバーの一員として、2年ぶりに国際舞台に立った。ただ、東京五輪の前哨戦という位置付けで臨んだアジア大会で、目標としていた金メダルには手が届かず、それどころか4位という成績に終わってしまった。中国、韓国、タイに完敗、厳しい現実が突きつけられた。敗北を喫した大きな要因は、セッター対角(オポジット)に入るサウスポーの長岡の良さを生かせなかったことにある。大会中、中田監督は「長岡を生かしきれていない」と語っている。

そして9月から日本国内で開催された女子バレーボール世界選手権。日本はアジア大会で浮き彫りにされた問題点の改善に取り組みながら、第3次ラウンドでセルビアに0-3、イタリアに2-3と負けて、5−6位決定戦にまわり、アメリカに1-3で負けて6位という成績に終わった。途中で投入される長岡のプレーは、アジア大会時よりもセッターとのコンビが合うようになっており、随所に長岡の良さが発揮されるようになっていた。

長岡は世界選手権大会直前の9月2日、所属する久光製薬を通じて、イタリア・セリエAのイモコへと期限付きの移籍を発表していた。長岡は移籍に関するコメントを発表し、2017年3月に左ひざ前十字靭帯断裂という大怪我を負ったことに触れて、「一年間、アスリートとして、新たに生まれ変わるつもりとしてリハビリに取り組み、バレーボールと自分自身に向き合ってきました」とした上で、「2020年に開催される東京五輪を目前に控え、『バレーボールをもっと極めたい』『海外で挑戦したい』という思いが強くなりました」と、東京五輪のために、さらなるステップアップを図ることが移籍の目的であることを明かしていた。

そしてまさかの負傷である。現在はリハビリ中の長岡望悠。復帰は早くても来年の秋だと言われている。長岡は全日本女子が東京五輪でメダルを獲得するために、欠くことのできない貴重なサウスポースパイカーだ。怪我後に長岡は久光製薬を通じて、「まずはしっかりと治療に専念していきたいと思います。これからも長岡望悠を温かく見守っていただけたら嬉しいです」というコメントを発表している。東京五輪までに長岡が、万全な状態で復帰し、ファンの眼の前で、あの強烈なアタックを見せてくれることを願おう。

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