新田祐大:競輪界トップを4年死守した男が、チームを率い、東京五輪でケイリン金メダルを狙う

全国に2300人いる「競輪」選手トップの証である「S級S班」。新田祐大(にった・ゆうだい)は、そのポジションに4年連続で君臨する。そして、自転車競技の「ケイリン」でも現在世界ランク1位。東京五輪のメダルを目指して、日本のライバルたちとともにしのぎを削る。

競輪界のトップとして国際大会にも力を入れ、2019年2月の世界選手権でケイリン銀メダルを獲得
競輪界のトップとして国際大会にも力を入れ、2019年2月の世界選手権でケイリン銀メダルを獲得競輪界のトップとして国際大会にも力を入れ、2019年2月の世界選手権でケイリン銀メダルを獲得

「競輪」のトップ、そして「ケイリン」のトップ

競輪選手としての新田祐大は、間違いなく、超一流だ。競輪界ナンバーワンとの呼び声高い爆発的なダッシュ力と、自慢のトップスピードで、全国2300人以上も存在する競輪選手の中でわずか9人にしか許されないS級S班の地位を、4年連続(通算6年)で守っている。

2015年には競輪界で最高の格式を誇る「日本選手権競輪」を制し、同年末にはシーズン最優秀選手賞にも選ばれた(2017年にも再受賞)。グランドスラムと言われるG1カテゴリー6レース全制覇まで、あと1つに迫るのは、現役では新田を含めわずか2人。「寛仁親王牌」を制し、グランドスラムを達成すれば、史上4人目(6レース制になってからは2人目)の大快挙となる。

なにより2013年以降は、常に年間獲得賞金ランキングトップ10圏内を守り続けている。2018年はたったの20レースしか出走していないというのに7位に食い込んでいる。ちなみに他のトップ10選手の平均出走レース数は77。過去5年間の総獲得賞金は5億9千万円以上という超エリート競輪選手は、この1年で、世界一流のケイリン選手にもなった。

確かにジュニア時代から早くもナショナルチームの一員としてトラックの国際大会を転戦し、2008年ワールドカップではチームスプリントで銀メダルも手に入れた。アジア競技会ではチームスプリントと個人スプリントでも表彰台に登った。2012年には念願のオリンピックに参戦し、チームスプリントで8位の成績も残した。

しかし、競輪選手としての真価を発揮し、「ケイリン」で好成績をつかんだのは、2018年8月のアジア競技会の銀メダルが初めて。ゴール前でハンドルを投げあうギリギリの勝負は、わずか0.003秒差で落とした。それでも、「自分もあの場所に立ちたい」と、ずっと他選手の表彰台を遠くから見つめてきた新田にとって、このメダルの意味は大きかった。

2018年12月には、ワールドカップ第5戦ケイリンで、ついに個人として初めてのワールドカップメダルを獲得(銅メダル)。2019年2月の世界選手権では、前年に日本人として25年ぶりの表彰台を実現した河端朋之に続き、銀メダルをつかみとった。

「嬉しさ半分、悔しさ半分」と語る新田は、もちろん本音を言えば金色が欲しかった。その代わり2019年3月4日付のUCI男子ケイリンランキングで、堂々世界1位の座に上り詰めた。

新田(中央)はロンドン大会以来の五輪出場を狙う。リオ五輪にも出場した渡邉一成(右)もライバルのひとりだ
新田(中央)はロンドン大会以来の五輪出場を狙う。リオ五輪にも出場した渡邉一成(右)もライバルのひとりだ新田(中央)はロンドン大会以来の五輪出場を狙う。リオ五輪にも出場した渡邉一成(右)もライバルのひとりだ

長野五輪に憧れ、オリンピック選手を目指す

オリンピックに出たい、スポーツ選手になりたい。長野冬季オリンピックで日本選手たちの活躍に感動し、当時12歳の新田祐大はこう心に決めた。

その2年後のシドニー大会で、自転車がオリンピック競技であることを知る。小学4年生の頃から、すでにマウンテンバイクを乗り回していた新田。これ以降は本格的に自転車競技に打ち込んだ。高校時代はトラック種目へ熱心に取り組み、インターハイで優勝も飾った。

高校卒業と同時に、競輪の道へと進む。ただ同じ年、ジュニアナショナルチームの一員として、トラック種目の転戦も始めた。2004年4月のジュニア・アジア選手権ではスプリント銀メダルに輝いたが、競輪学校は翌春、全73人中52位という落ちこぼれとして卒業した。

もちろん、2005年7月に競輪選手としてデビューを果たしてからは、着実に成績を伸ばしていった。代表活動も順調に続け、2012年には夢だったオリンピック出場を果たす。

「オリンピックの檜舞台を目指して来た自分の為に、頑張って来ます!」。そう宣言してロンドンのトラックへと走り出した新田は、「周囲の期待に応えるために、メダルを目指さなきゃならない」とは思っていたが、「メダルを獲れる」とは本気では考えていなかったそうだ。

むしろ自分自身が何をしたいのか、まるで分からない状態だったという。「オリンピックに出ること」が目的になってしまっていたのではないか、と後に自己分析している。

男子チームスプリント参加10カ国中8位。この結果が出て初めて、新田は自分の真の欲求に気がついた。レースの2日後のブログにこう綴っている。「メダルがどうしても欲しい……。どうしたらメダルを取れるか、しっかり考えて4年後に向かい、一歩を踏み出そうと思います」。

ところが4年後のリオデジャネイロオリンピックでは、代表にさえ選んでもらえなかった。選考落ちを告げられるずっと前から、ナショナルチーム活動のあり方に悩んできた新田は、自らで大きな一歩を踏み出すことに決めた。

東京五輪での金メダル獲得のため、自らトラックチームを設立

2016年4月、トラックチーム「Dream Seeker」(ドリームシーカー)を設立。2020年東京オリンピックでのメダル獲得と、次世代の若手選手育成を謳い、新チームと共に積極的に海外のトラックレースへの参戦を行った。

「日本に東京オリンピックのメダルをもたらすため」、2016年秋、ブノワ・ベトゥが新たに日本代表の短距離ヘッドコーチに就任。リオ五輪で中国女子にチームスプリント金を獲らせた「メダル請負人」の指導のもと、新田は海外選手にパワーで負けないフィジカルを作り上げた。

また、べトゥが「日本選手の最大の弱点」と指摘したメンタル面も、徐々に改善されていく。そして2018年6月、オールスター競輪に向けたファン投票で1位に輝いた新田は、8月のアジア競技会で初めてケイリンでも大きなメダルを手に入れた。

アジアだけでなく、世界の舞台でもメダルに輝いた。この先はメダルの「色」にこだわるつもり。長野オリンピックでメダリストに憧れ、自転車選手の道を選んだ新田祐大は、東京オリンピックには金メダルを獲りに行く。

東京五輪でのケイリン金メダル獲得のため、自らトラックチームを設立。仲間とともに高みを目指している
東京五輪でのケイリン金メダル獲得のため、自らトラックチームを設立。仲間とともに高みを目指している東京五輪でのケイリン金メダル獲得のため、自らトラックチームを設立。仲間とともに高みを目指している

 ライバルとともに勝ち取る出場枠

「チームメートでもあり、ライバルでもある」。日本代表の短距離チームで、共に切磋琢磨する競輪界の同僚たちを、新田祐大はこんな風に形容する。

アジア選手権で何度もケイリン金メダルを持ち帰り、2018年秋にはワールドカップでもケイリン金に輝いた脇本雄太や、2018年世界選手権で日本に25年ぶりのケイリンメダルをもたらした河端朋之を、正直羨ましく感じた。「自分もあの場所に立ちたい」と憧れつつ、なかなか成績の出せない自分に歯がゆい思いも抱いたそうだ。

ただし、2人の活躍は刺激でもあり、確信を与えてくれる材料でもあった。ナショナルチームで同じ練習を積み、同じ食事を摂ってきた同僚にできるのであれば、自分にもできるはずだ、と。

東京オリンピックのケイリン出場枠は、1カ国あたり最大でも2。しかも2枠を手に入れるためには、ケイリンではなく、チームスプリントでオリンピックランキング上位8カ国に食い込まねばならない。つまりチームスプリント日本代表に課された責任は極めて重い。肝心のメンバーは脇本でも河端でもなく、新田本人だ。

自分のオリンピック出場のチャンスを増やすためにも、チームスプリントで結果を出さねばならない。こうはっきり自覚する新田は、昨シーズンは雨谷一樹と深谷知広と共にチームスプリントを戦った。

2018年アジア競技会は銅メダルながら、3位決定戦で全出場チーム中最速タイムを叩き出した。2019年アジア選手権は「リベンジ」を果たし金メダル。ワールドカップでは、日本にとって7年ぶりのチームスプリントメダル(銀)も勝ち取った。

ケイリン2枠確保までは、あともう少し。「出場枠とは、自分1人だけではなく、みんなで勝ち得た権利」とかつて謙虚に語った新田だが、自分で勝ち得た出場枠を、簡単にライバルに譲り渡すつもりもないはずだ。

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