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東京五輪で“世界一強い兄”になれるか。高橋侑希の挑戦

高橋侑希選手/時事

ハンガリーのブタペストで2018年10月に開催されたレスリング世界選手権。最も注目されていたのは男子フリースタイル57kg級で、前回大会覇者の高橋侑希の連覇がかかっていた。しかし、大会前に世界王者として臨んだ8月アジア競技大会で、高橋はまさかの敗戦。

銅メダルに終わった反省から、「自分はまだ弱い、攻めが足りない」と気持ちを入れ直し、挑戦者の気持ちで戦いに挑んでいた。ところが、準決勝で世界ランキング1位、ロシアのザウール・ウグエフと対戦し、第1ピリオド2分に先制点を取ったものの、その後、相手の速いスピードに追いつけず、受け身に回り7−2で完敗。失意の中で3位決定戦に回った太田は、かろうじて銅メダルを死守して、最低限の意地を見せたが、最終目標に掲げる2020年東京五輪での金メダルに大きな課題を残した。

インターハイ3連覇の偉業

高橋侑希25歳、1993年11月29日に三重県桑名市で生まれた。レスリングを始めたのは小学生のとき。レスリング教室の生徒募集という新聞の折り込みチラシを見たのがきっかけだという。小学校5、6年生のときに全国少年少女レスリング選手権を連覇。中学生では、いなべレスリングクラブに所属、2007年、2008年の全国中学生選手権で2連覇を果たすなど、幼少期からその才能を発揮してきた。

高校は三重県立いなべ総合学園高等学校に進学。レスリング部に所属した高橋は、2009年8月奈良県で開催された全国高校生総合体育大会(インターハイ)の個人戦に出場し、一年生ながらにインターハイを制覇するという偉業を成し遂げる。しかも、準々決勝で、前回大会の覇者であり、4月のジュニアオリンピックで優勝するなど、注目を集めていた茨城県の私立霞ヶ浦高校3年生の森下史崇を倒しての優勝は、高校レスリング界に大きな衝撃を与えた。このとき対戦した森下と高橋のライバル関係は、森下が引退するまで続くことになる。

その後、高橋は山梨学院大学に進学、全日本大学選手権など数々の大会で優勝を果たす。大学卒業後の2016年に綜合警備保障に入社し、現在は同社レスリング部に所属している。

高橋侑希選手

兄の背中を追う弟の存在

高橋には拓也という2歳年下の弟がいる。弟の拓也は中学時代、兄がトレーニングを積んだいなべレスリングクラブに所属し、兄を目標に練習に励む。努力の甲斐もあって、2010年のJOC杯カデット42kg級で、優勝するほどの実力を身につけた。実はこのとき、兄の侑希も54kg級で優勝、兄弟による同時優勝は大きな話題となった。兄と隣り合わせで並び、メダルを首にかけ、賞状を手にした記念のツーショット写真が残されているが、満面の笑みを浮かべておさまる和也の姿が印象的だ。

ただ、和也は兄と同じ道を選ばなかった。いなべレスリングクラブは、兄の母校、いなべ総合学園レスリング部監の藤波俊一監督が、全国に通用するような選手を輩出するためには、幼少期からの育成が必要不可欠という信念から創設したクラブだ。高校生になったら、そのままいなべ総合学園に進学し、レスリング部に入るのが“一般的な”ルートだろう。しかし、和也が選んだのは、高校レスリング界で関東の名門として知られる霞ヶ浦高校への“国内留学”だった。

病で夢を諦めた弟のために

2013年、高校三年生になった和也は、長崎で開催されたインターハイで、兄も果たせなかった団体戦で優勝した。また、個人戦準優勝という成績も残した。しかし、これが和也にとって最後の公式戦となった。和也はインターハイの前から、これを最後にレスリングから引退することを決めていた。理由は発育期の子どもに特異的に起こる原因不明のペルテス病を発症していたからだ。ペルテス病は股関節内の大腿骨頭(だいたいこつとう)に血行障害が起きて、骨が壊死したり、骨の強度が弱くなって変形したりするため、レスリング選手としては致命的な病と言えるだろう。

36年ぶりに世界選手権を制覇した高橋は大会後、弱気な自分を弟がいつも後押ししてくれた。「もっと頑張れるんじゃないの?負けないで」という言葉が原動力になったとメディアの取材に答えている。レスリングがしたくても諦めなければならなかった弟の分まで、自分は頑張らなければならない。「強い兄でいたい」という思いが、高橋をオリンピックへと駆り立てるのだろう。

本命とされながら五輪出場を逃す

レスリング軽量級選手の最大の課題は減量だと言われる。高橋は炭水化物を控えて体を絞り、試合の10日前までに2kgオーバーの59kgまで落として、その後は脱水減量で57kgにするという。高橋の特長は体力になるだろうか。前半に追い込み、相手が疲れた後半で仕留めるというスタイル。自分よりも体重の重いALSOKの同僚選手との練習で、体力をつけている。ただ最近は、スパーリングでタックルを仕掛ける回数を増やし、また、無理な体勢からでも仕掛けるようにして、より積極的に攻撃スタイルを身につけようとしているようだ。

インターハイ3連覇だけでなく、高橋侑希の戦績は輝かしいものだ。高校時代はインターハイのほかに、全高校選抜大会で1度、国民体育大会(国体・少年)で2度、JOC杯カデットで2度の優勝を果たしている。そして、山梨学院大学では、2012年、13年と国体(成年)を連覇。また、2012年全日本大学選手権(フリースタイル55kg級)では1年生ながら優勝、2014年の4年生でもう一度優勝している。

2014年にウズベキスタンで開催された世界選手権に初出場して5位入賞。2015年7月にポーランド開催されたジオルコウスキ国際大会でシニア初の国際大会優勝を果たす。しかし、米国・ラスベガスの世界選手権は9位に終わり、目標だったリオデジャネイロ五輪の出場枠に入れず、優勝候補と目されて臨んだ全日本選手権は3回戦で自衛隊の川野陽介に敗れ、五輪出場は叶わなかった。

失意のリオデジャネイロ五輪落選からの復活劇

リオデジャネイロ五輪のレスリングフリースタイル57kg級に出場したのは、有力視されていた高橋でも森下でもなく、高橋が敗れた川野を決勝で下して優勝した日本体育大学3年生で20歳の樋口黎(ひぐちれい)だった。初出場ながら樋口は1回戦で2014年の世界選手権王者で2012年ロンドン五輪銅メダリストのヤン・ギョンイル(北朝鮮)を破ると、各国からノーマークだったこともあり、快進撃を続けて決勝までに勝ち進み、2015年世界選手権王者のウラジミール・キンチェガシビリ(ジョージア)と対戦。積極的に攻めてリードするも、試合巧者のキンチェガシビリに惜しくも逆転で敗れて、銀メダルとなった。

目標の五輪出場を逃し、失意のどん底にいたはずの高橋だったが、見事に復活を果たす。2016年10月に岩手で開催された国体で優勝すると、12月の全日本選手権でも優勝。2017年5月のアジア選手権優勝、6月の全日本選抜選手権優勝、8月の世界選手権で優勝し、1981年大会のフリースタイル52キロ級で優勝した朝倉利夫以来、日本人として36年ぶりの世界王者になった。

2017年、世界選手権で優勝/AFP=時事

そして、12月の全日本選手権で連覇を達成。翌2018年6月の全日本選抜選手権も連覇するなど快進撃を続けていたが、ここにきて不安材料も出てきた。8月アジア競技大会では、2回戦で、試合途中でタイマーが何度も故障し、試合を中断されるなどアクシデントに見舞われ、集中力を切らした高橋は、北朝鮮のカン・グムソンに5−9で敗れて、敗者復活戦に回り、かろうじて銅メダルを死守した。また、連覇を賭けて臨んだ世界選手権は、準決勝で当たったロシアの選手になすすべもなく敗退、キューバ選手相手の3位決定戦では、残り35秒から渾身のタックルを繰り出して逆転、ギリギリで銅メダルを確保するなど、厳しい試合内容だった。

五輪初出場を賭けた正念場の1年

いよいよ、2020年東京五輪出場をかけた競争が本格的に始まる。世界選手権の直前に日本レスリング協会は、2020年東京五輪の選考基準を発表した。それは2019年9月にカザフスタンで開催される世界選手権で、メダルを獲得した選手に出場権を与えるというもの。これは栄和人前強化本部長のパワハラ問題などを受け、不透明と指摘された選考基準の明確化を図った措置だろう。つまり、高橋は世界選手権への出場権をまず獲得しなければならないのだ。

高橋は2018年12月20日から開かれる全日本選手権で3連覇となる優勝を果たした。2019年6月の全日本選抜選手権でも優勝すれば世界選手権への出場が決まる。だが、全日本選抜選手権で敗れた場合、7月に世界選手権代表決定プレーオフを行い、勝者が出場することになるという。高橋が「強い兄」であることを証明するには、まず、世界選手権への出場権を確保しなければならない。五輪初出場の切符を賭け、高橋侑希にとって正念場の1年が始まる。