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東京五輪の男子バレーボールはブラジルが優勝候補の筆頭。日本女子は「久美さん」の指揮のもと、メダル獲得をめざす

男子イタリアも強豪だが、オリンピックの金メダルとは無縁

バレーボールに似た競技は、紀元前3世紀頃にすでにローマで行われていたと言われている

バレーボールがオリンピックの正式競技に採用されたのは、1964年の東京五輪。自国開催で伝説の「東洋の魔女」は見事、金メダルを獲得した。以降、女子チームも男子チームも一定の成績を残し、バレーボールは「日本のお家芸」と言われる時期もあった。しかし、近年はヨーロッパ勢と南米勢が台頭。2020年の東京五輪でも、メダルをかけて熾烈な争いが行われる。

バレーボールが日本に紹介されたのは1913年

バレーボールに類似した競技は、紀元前3世紀頃に拳でボールを打つ遊びがローマで発生したと言われている。これが中世イタリアで発展し1895年にアメリカのマサチューセッツ州で体育指導者をウィリアム・ジョージ・モルガンが「バレーボール」という競技として考案した。

室内で行うことができて、相手との接触がないスポーツとして発表されたバレーボールは全米各地に広まり、日本には1913年に紹介された。オリンピックには1964年の東京五輪から正式種目となった。自国のオリンピック開催ということもあり、日本バレーボール協会が大いに国際オリンピック委員会にはたらきかけて実現に至った。

ネットを挟んで6人対6人でボールを自陣のコート内に落とさず、3回以内に相手コートに返し、相手コート内に落とす(ブロックアウトを除く)。それが基本ルールだ。コートは9メートル四方の各コートをネットで挟む。ネットから3メートルのところにアタックラインが引かれ、後衛の選手はこのラインの前での攻撃が禁止されている。

サーブを打って相手コートの選手がレシーブし、トスを上げてスパイクを打つのが基本のワンプレーだ。ネットの幅は1メートル、長さは9.5メートル〜10メートル。ネットの高さはアンダーエイジの試合では下げられるが、一般的には女子で2.24メートル、男子で2.43メートルとなっている。

バレーボールは何度かルールを変えている。古くはブロックのオーバーネットを反則とせず、またブロックは3回で返すうちの1回にカウントしないこととなった。身長の高いヨーロッパ勢に有利になる改変だったと言われている。この後、1998年に守備専門のポジション「リベロ」が正式導入された。1999年にはサーブ権を持っていない時でも、ミスで得点になる「ラリーポイント制」への移行が図られている。リベロは低身長のプレーヤーの救済策として、またラリーポイント制は試合時間の短縮化を狙って行われた。

バレーボールの真髄は「つなぎ」にある。ビッグサーブ、パワースパイク、キルブロックといった華やかなプレーはもちろんだが、なんとかボールをつなげ、得点に結びついた時、見るものはカタルシスを覚え、感動を覚える。

新設の有明アリーナが、新たなバレーボールの聖地に

2020年の東京五輪の出場資格は、全部で12カ国に与えられる。日本の男女チームは開催国枠として出場枠が保証されている。その他の11枠を、5大陸予選の優勝国と、大陸間予選優勝の6カ国が獲得する。

会場は東京都江東区に新設される有明アリーナで、サブコートも備え、約1万3000人の収容人数を誇る。バレーボールは7月25日(土)から8月9日(日)まで、男女交互に毎日開催される。伝統的に男子の決勝が最終日だったが、東京五輪では女子の決勝が最終日となった。男女ともに世界ランキングによって分けられた2つのグループで総当たりの予選を行った後、準々決勝、準決勝、決勝とトーナメント形式で進む。

男子ブラジルはアテネ五輪で金メダル、北京五輪とロンドン五輪で銀メダル、リオデジャネイロ五輪では再び金メダルと、屈指の強さを誇る

男子はブラジル、女子は中国が優勝候補の筆頭

ここしばらくの男子強豪国の筆頭はやはりブラジルだろう。1992年バルセロナ五輪で初めて金メダルを獲得してから、ブラジルではバレーは人気競技の一つとなった。

自身も代表経験を持つベルナルド・レゼンデ監督が男子代表監督に就任した2001年以降、ブラジル男子は、さらに力をつけている。アテネ五輪で金メダル、北京五輪とロンドン五輪で銀メダル、地元開催のリオデジャネイロ五輪では再び金メダルと、4大会連続のファイナリストとなっており、2020年の東京五輪でも上位進出が見込まれる。現在は、自身も選手として活躍したレナン・ダル・ゾットが指揮をとる。

イタリアも世界選手権では1990年大会から3連覇という驚異の成績を残しているとおり、常に強豪国の座を保ち続けている。だが、なぜかオリンピックの金メダルには無縁で、3度の銀メダル獲得にとどまっている。ヨーロッパ勢では、1976年のモントリオール五輪で金メダルを手にしたポーランドが2014年、2018年と世界選手権を連覇し、古豪復活を果たしつつある。ポーランド代表でキャプテンを務めるミハウ・クビアクは、現在日本のVリーグでプレーしており、パナソニックの3冠に大いに貢献した。

ポーランド代表でキャプテンを務めるミハウ・クビアク(左奥)は現在、日本のクラブでプレーしている

女子は1964年の東京五輪を制した「東洋の魔女」と、その宿敵だったソ連との2強時代が続いたが、1980年代、中国に郎平(ろうへい)というスーパースターが出現し、中国が強さを見せつける時代が来る。その後、身体能力の飛び抜けたキューバが君臨する時代へと移り変わり、男子とともに力をつけたブラジルが2008年の北京五輪と2012年のロンドン五輪を連覇したが、リオデジャネイロ五輪では監督となった郎平が率いる中国が決勝でセルビアを下し優勝を果たしている。

東京1964 – 東洋の魔女

1964年東京五輪、女子バレーボール決勝戦。日本中が熱狂した「東洋の魔女」の金メダルの瞬間だ!

日本男子は1960年代から1970年代に黄金期

1964年東京五輪のバレーボールを振り返ると、「東洋の魔女」と比べ、男子チームの扱いは屈辱的なものだった。

欧州遠征の練習試合では22連敗を喫し、男子日本は「日本のクズ」とまで新聞に書かれた。それでも、ソ連に留学してバレーを学んだ松平康隆が男子日本のコーチとなった東京五輪では銅メダルを手にした。しかし、記録映画「東京オリンピック」に自分たちの姿は1カットも使われなかった。その屈辱を胸に、「負けてたまるか」をモットーに強化に励み、松平が監督に就任した1968年のメキシコ五輪で銀メダル、そして1972年のミュンヘン五輪では金メダルを獲得した。公開競技時代の野球を除き、オリンピック男子団体球技では、現在に至るまで唯一の金メダルとされている。

1980年代は川合俊一、熊田康則、井上謙といった人気選手が登場したものの成績は低迷。1992年のバルセロナ五輪で中垣内祐一、青山繁、泉川正幸らが6位と健闘したのを最後に、16年間オリンピック出場から遠ざかっていた。

バルセロナ五輪のキャプテンを務めた植田辰哉が監督に就任し、荻野正二を主将に据えた2005年にはアジア選手権で5大会ぶり、10年ぶりの優勝を果たす。2006年には世界選手権で24年ぶりにベスト8、そして北京五輪の世界最終予選ではアジアトップで出場権を獲得。復権の期待がふくらんだが、北京五輪では全敗に終わり、その後はロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪とも出場権を失っている。

石川祐希や柳田将洋ら「NEXT4」と呼ばれるユニットが注目を集め、2015年のワールドカップで20年ぶりに6位に入ったことで人気が加熱。二人をはじめ、海外の強豪リーグでプレーする選手も増え、東京五輪での活躍も確実視されている。2017−18シーズンのリーグでは、現役高校生の西田有志(ゆうじ)が大活躍。西田はシニア全日本代表にも大抜てきされ、ネーションズリーグでイタリアから11年ぶりの勝利を奪う原動力となった。リハビリ中の北京五輪出場経験のある清水邦広と並び、サウスポーのオポジットとして、東京五輪での働きが期待される。

柳田将洋(左)や石川祐希(右)ら「NEXT4」と呼ばれるユニットの存在で、男子日本は再び浮上のきっかけをつかんでいる

日本女子は東京五輪以降、数々のメダルを獲得

日紡貝塚女子バレーボールチームが主体となった「東洋の魔女」は、文字どおり圧倒的な力を持つチームだった。「鬼の大松」こと大松博文監督が率いて、東京五輪の2年前には世界選手権を制して、すでに名声を確立していた。実はそのタイミングで引退を考えていた選手も多かったが、キャプテンの河西昌枝が「私はやる」と宣言すると、ほとんどの選手がそれに続き、東京五輪を戦うことになった。ソ連との決勝では3度のマッチポイントがあったが、最後はソ連のミスで決着がつく。決勝戦のテレビ視聴率は平均66.8%で、これはいまだにスポーツ中継の記録として破られていない。

全日本女子バレーの第2の黄金期は、山田重雄監督によってもたらされた。高校の指導者から日立の監督に転身して全日本の指揮官となった山田監督は、白井貴子、江上由美、中田久美、大林素子、吉原知子ら多くの名選手を育成した。1968年のメキシコ五輪で銀メダル、1976年のモントリオール五輪で12年ぶりの金メダル、そして1974年の世界選手権、1977年のワールドカップでも優勝し、3冠監督となった。

1984年のロサンゼルス五輪の銅メダル以降、低迷期が続いていたが、眞鍋政義監督が率いるロンドン五輪でエース木村沙織、セッター竹下佳江、守護神の佐野優子らの活躍により、28年ぶりに銅メダルを獲得し、お家芸の復活を印象づけた。

中田久美監督(左)は2016年から全日本女子代表チームの指揮をとる

現在の女子チームを率いる監督は15歳で全日本入り

東京五輪に臨む女子チームでは、黒後愛、古賀紗理那、石井優希らのサイドアタッカー陣の活躍が大いに期待されている。チームを率いる中田久美(なかだ・くみ)監督は、自身も全日本で活躍した経歴を持つ。

中田監督は中学からバレーを始め、山田重雄監督の英才教育バレーチーム「LAエンジェルス」に入団して才能を見いだされた。バレーに専念するため、高校は通信教育で卒業した。日本バレー史上最年少の15歳で全日本に抜てきされ、セッターに転向。1983年から全日本の司令塔となり、ロサンゼルス五輪銅メダルに貢献する。だが、本人は銅メダルに不満だった。

1986年の練習中に右ひざ前十字じん帯を断裂。リハビリして復帰するも、その後はケガに悩まされた。現役引退後はスポーツキャスターや解説としても活動していたが、2008年にイタリア・セリエAのヴィツェンツァのコーチに就任。海外での指導者としての経験を積む。

2011年に久光製薬スプリングスコーチ、2012年には同クラブの監督に就任。就任初年度に皇后杯、Vリーグ、黒鷲旗大会の3冠を成し遂げる。2016年に全日本女子代表チームの監督に就任し、2018年秋に行われた世界選手権では6位という成績を残した。

選手たちからは「久美さん」と名前で呼ばれることが多く、コートのなかだけでなく、外でも選手を見守り、細々と言葉をかける。「久美さんが全日本の監督だからがんばれる」という選手もいるほどだ。