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柔道では負傷の山下泰裕がロサンゼルス五輪を制す|ソウル五輪では「バサロ」で背泳ぎの鈴木大地が金メダル【1980年代の日本人メダリスト】

1980年のモスクワ五輪は政治的理由でボイコット

文: オリンピックチャンネル編集部 ·
現在スポーツ庁長官を務める鈴木大地は1988年、21歳のときに背泳ぎでソウル五輪を制している

1980年代は3度のオリンピックが開催されたが、日本選手団は2度しか参加していない。1980年のモスクワ五輪は政治的観点から参加を見送った。同大会に出場するはずだった柔道の山下泰裕や体操の具志堅幸司は、続く1984年のロサンゼルス五輪で見事金メダルを獲得。1988年のソウル五輪では鈴木大地と小谷実可子の競泳陣の奮闘が光った。

体操の具志堅幸司(左/右写真中央)はロサンゼルス五輪で大活躍。2つの金メダルを含め計5つのメダルを首にかけた

瀬古利彦や室伏重信が出場予定だったモスクワ五輪

1970年代、2度のオリンピックで計54枚のメダルを獲得した日本は、1980年のモスクワ五輪に出場していない。

準備を進め、参加選手も決まっていた。だが、大会まで2カ月を切った時点でボイコットに踏み切った。開催国であるソ連によるアフガニスタン侵攻を重く見て、アメリカやイタリア、西ドイツなどと同様に、ソ連の行為に対する抗議として選手派遣を拒否している。本来であれば、マラソンで瀬古利彦、宗茂(そう・しげる)、宗猛(そう・たけし)、ハンマー投で室伏重信、体操で梶山広司(ひろし)や具志堅幸司、柔道の山下泰裕(やすひろ)などが出場するはずだった。

それから4年後、1984年7月28日に開幕したロサンゼルス五輪には231人の日本人アスリートが参加した。モスクワ五輪を断念せざるを得なかった選手が重役を担っている。選手団の旗手を陸上の室伏重信、主将を柔道の山下泰裕が務めた。最終的に金メダルを10枚、銀メダルを8枚、銅メダルを14枚と、合計32枚のメダルを持ち帰った。

1988年のロサンゼルス五輪では自転車のスプリントで、日本大学に在籍中の坂本勉(右端)が銅メダルを獲得

27歳でオリンピック初出場となった山下泰裕

ロサンゼルス五輪で記録と記憶に残る戦いを披露したのは柔道の山下だ。1976年のモントリオール五輪は補欠参加だった山下は4年前のモスクワ五輪の代表に選ばれながら、ボイコットにより出場は見送られた。ロサンゼルス五輪を迎えた山下は27歳。のちに「年齢的にも、これが最後のオリンピックになるだろうと思っていました」と明かしている。

最初で最後になるだろう世界のひのき舞台で、山下は苦難に直面する。当時西ドイツのアルトゥール・シュナーベルと対戦した2回戦で、内股を仕掛けたときに右ふくらはぎに肉離れを負ってしまった。痛みを感じた山下は相手に悟られないように戦い、送り襟絞めで勝利を手にした。試合後、気づかれないように意識したが、明らかに足を引きずっていた。

右腓腹筋裂傷、つまり右ふくらはぎを傷めた山下は準決勝でフランスのローラン・デル・コロンボと対戦。190センチを超える大男には負傷した右足を執拗に攻め立てられたが、横四方固めで勝利を収めた。

軸足の右足に力が入らない状態で迎えた決勝戦、山下は前向きだった。「チャンスを呼び込むため、今まで以上に胸を張り、相手を見据えて自分からつかみかかっていこうと決めました」と振り返ったことがある。

エジプトのモハメド・アリ・ラシュワンとの決戦は、試合開始早々に仕掛けられた。ラシュワンの技が不発に終わった瞬間、山下は寝技を繰り出し、相手を抑え込む。横四方固めで耐え抜き、一本の判定で勝利を収めた。幻のモスクワ五輪を経て満身創痍で勝ち取った金メダルに、日本中が沸き立った。表彰式で最上段へ向かう山下の腕をラシュワンが支えた場面は、世界中で感動を呼んだ。

1984年のロサンゼルス五輪では「体操ニッポン」が面目躍如を果たしている。とりわけ存在感を発揮したのは、山下と同じくモスクワ五輪に参加できなかった具志堅幸司だ。5つのメダルを持ち帰った。個人総合とつり輪で金メダル、跳馬で銀メダル、団体総合と鉄棒で銅メダルを獲得している。

レスリングの宮原厚次(あつじ/左)はロサンゼルス五輪で金メダル、ソウル五輪では銀メダルの成績を残している

シンクロの小谷実可子が2つの銅メダル

1988年のオリンピックは韓国の首都ソウルで行われた。隣国を舞台に9月17日に開幕した四年に一度の大会で、日本は14枚のメダルを手にした。内訳は金メダルが4枚、銀メダルが3枚、銅メダルが7枚と、過去の数大会と比較すると物足りない結果だった。

4つの金メダルはすべて男子アスリートが獲得している。競泳100メートル背泳ぎの鈴木大地、柔道95キロ級の斉藤仁(ひとし)、レスリング48キロ級の小林孝至(たかし)と同52キロ級の佐藤満(みつる)が世界の頂点に立った。

なかでも大きなインパクトを残したのが競泳の鈴木だ。船橋高等学校3年次にすでにロサンゼルス五輪を経験していた鈴木は、日本競泳陣に16年ぶりの金メダルをもたらした。当時21歳の鈴木の最大の武器となったのは、スタートから約30メートルもキックだけで進む「バサロ泳法」だ。水の抵抗が少ない潜行を続けることでスピードにのれる。バサロの第一人者にして世界記録保持者でもあったアメリカのデビッド・バーコフを上回る55秒05というタイムをたたき出し、鈴木は見事世界王者となった。

鈴木と同じ競泳陣では、シンクロナイズドスイミングの小谷実可子が奮闘した。現在はアーティスティックスイミングと呼ばれる競技で2つの銅メダルを獲得している。ソロに加え、田中京(みやこ)とのデュエットでも表彰台に立った。

ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した山下泰裕は2019年、日本オリンピック委員会の会長に就任。バサロの鈴木は2015年からスポーツ庁長官、シンクロナイズドスイミングの小谷実可子は日本オリンピック委員会の理事を務める。世界を知る先人たちが今、日本のスポーツ界を牽引している。