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水谷隼:選手生命の危機のなかで戦い続けるベテラン。日本の金メダル獲得に向けて卓球界を牽引する力が不可欠

水谷隼選手

リオデジャネイロ五輪で日本卓球男子史上初となるシングルス銅メダル、団体銀メダルを獲得した水谷隼。子供の頃から卓球の才能をいかんなく発揮してきた彼も、東京五輪が開催される2020年には31歳となる。打倒中国とリオデジャネイロ大会に続くメダル獲得には、日本の卓球界を牽引して来たベテランの力が必要不可欠だ。

「史上最年少」「歴代最多」など、数々の偉業を達成

水谷隼は1989年6月9日、静岡県磐田市で生まれた。小さい頃はサッカー、バスケットボール、バレーボールなど、さまざまなスポーツに親しむ、活発な子どもだったそうだ。卓球は5歳の頃から始めている。きっかけは両親が卓球経験者だったから。始めたころは、右利きでプレーしていたが、卓球では左利きが有利と考えた両親が、左に矯正したのだという。

水谷は幼いころから天性の卓球センスを発揮している。磐田市立磐田北小学校1年生のときに、初めて出場した全日本卓球選手権大会バンビの部(小学2年生以下)で準優勝し、翌年には優勝する。1999年度全日本卓球選手権大会カブの部(小学4年生以下)で優勝、2001年度全日本卓球選手権大会ホープスの部(小学6年生以下)でも優勝している。

中学生になって、卓球強豪校である青森県の青森山田中学へと転校し、より卓球に集中できる環境に身を置いた。中学2年で出場した2003年度全日本卓球選手権ジュニアの部(18歳以下)において、男子では史上最年少となる優勝を果たす。青森山田高校へと進学したのちに、2005年度、2006年度の同大会で優勝。男子ジュニアの部で3度の優勝は、歴代最多だ。

2006年度大会では、男子シングルス、男子ダブルス、男子ジュニアの部を制して、3冠を達成した。男子シングルスでは、17歳7カ月で優勝するという、当時の史上最年少記録も作った。その後、2010年度まで5連覇を果たし、2013年度から2016年度まで4連覇を成し遂げるという偉業も達成した。全日本卓球選手権男子シングルスで計9回の優勝は、もちろん歴代最多である。

リオ五輪の男子シングルス銅メダル、団体銀メダルの立役者

水谷の日本代表デビューは2005年。アテネオリンピックが終わり、世代交代の目玉として、世界卓球選手権の日本代表に選ばれた。このとき水谷は15歳10カ月。のちに張本智和に破られるまで、男子史上最年少年齢であった。

2008年北京オリンピックが初めての五輪出場となった。明治大学1年生のときで、当時の世界ランキングは21位だった。個人戦はギリシャのカリニコス・クレアンガに敗れて3回戦敗退。「自分から攻めていこうとしたのに、大事にいきすぎて狙い打たれた失点があった。技術的にはよかったが、精神的に守りに入ってしまった。精神的に強くならないと」と、試合後のインタビューで答えている。団体戦は1次リーグを3連勝で突破するも、準決勝で強国ドイツに破れ、さらにはオーストリアにも負けて5位となった。

2012年の世界ランキングは5位。さらには第3シードでロンドンオリンピックを迎えて、メダル獲得が期待されていた。しかし、4回戦でデンマークのマイケル・メイスに0-4で敗れてしまう。団体戦でも準々決勝で香港に敗退し、メダルに手は届かなかった。

二度のオリンピックで水谷は苦杯を喫したが、その後も経験を積み、選手として技術的にも精神的にも充実してきた27歳で、3度目のオリンピックとなるリオデジャネイロ大会を迎える。順当に勝ち進んだ水谷は、準決勝で当時の世界ランキング1位の馬龍と激突する。水谷と馬の壮絶な打ち合いは、観る者に興奮と感動を与える激闘となったが、2-4で惜敗。3位決定戦へと回った水谷は、ベラルーシのウラジーミル・サムソノフと銅メダルをかけて戦うことになる。

「リオにはメダルを獲りに来た。絶対に勝ってメダルを日本へ持ち帰りたい」と強い気持ちで挑み、見事4-1で勝利。日本男子初のシングルスでのメダル獲得となった。

日本男子初のシングルスでのメダル獲得

「僕が卓球始めたときからの夢だったので、それが叶えられて本当にうれしいです。今日負けたら一生後悔すると思うし、本当に死にたくなると思うので、絶対負けたくないという気持ちで頑張りました」。試合後に水谷は語った。

水谷は団体戦でもチームを牽引。ポーランド、香港、ドイツを破り、初めてオリンピックで決勝進出を果たした。中国に破れたものの、見事に銀メダルを獲得した。水谷も第2試合のシングルスで登場し、格上の許昕に勝利している。

「彼には過去0勝15敗、数多くの大きな舞台で負けて続けてきました。オリンピックという最高の舞台でリベンジできて、すっきりしています。今回、シングルスと団体戦の両方で(メダルを)獲ることができ、団体戦は銀メダルで素晴らしい結果だったと思います。優勝することはできなかったんですが、この悔しさをバネに東京オリンピックでは優勝したいです」とリオデジャネイロ大会を締めくくった。

Tリーグ参戦は日本卓球界への恩返し

2018年8月24日、プロリーグ志向とされ、参戦に関して否定的と言われてきた水谷が、10月に国内で開幕する“Tリーグ”への出場を表明した。これまでドイツのブンデスリーグ、中国スーパーリーグ、ロシア・プレミアリーグなど、世界を主戦場にして戦ってきた水谷隼。2016〜17年シーズンには、所属するオレンブルク(ロシア)でヨーロッパチャンピオンズリーグ優勝。スタートしたばかりのマレーシアのプロリーグであるアジア太平洋リーグにも参戦していた。

そんな水谷が国内でプレーすることを決意したのは、なんといっても東京五輪だろう。東京五輪に向け、集中できる練習環境を求めるとともに、日本卓球界の発展のために、Tリーグ成功のために、選手としてのキャリアを捧げようと決意したのではないか。

木下マイスター東京で活躍する水谷隼選手

Tリーグは10月24日に開幕を迎え、水谷が所属する「木下マイスター東京」は、歴史的なオープニングゲームで、「T.T彩たま(ティーティーさいたま)」と戦い、第1戦のダブルスで登場した水谷は、松平健太とペアを組み、2-0で勝利を収めた。しかしチームの勝ちが決まったあとのシングルスでは敗れてしまう。2019年3月に閉幕した2018-2019シーズンでは、「木下マイスター東京」は3位に終わったものの、個人戦績では張本智和に次ぐ2位(14勝5敗)となった。

一時期、調子を崩して19位にまで落ちていた世界ランキングも、スウェーデンOP、オーストリアOPで、ベスト16に勝ち残り、13位にまで上昇している(2019年4月現在)。

2020年の東京五輪を31歳で迎える水谷。2019年1月には10度目の全日本選手権制覇を成し遂げたばかりだったが、そうしたなかで、視力低下による選手生命の危機にあることを公表し、会場の照明と暗さによっては、ボールがまったく見えない状況にあるという。2018年1月頃から始まっていた症状のまま戦い続けてきた。

それでも、張本、丹羽といった若い世代から、激しく突き上げられているが、大舞台になればなるほど、経験を積んだベテランの力が必要だ。水谷自身、東京五輪を第一線プレーヤーとしての最後の舞台にすることを示唆している。円熟味を増した彼のプレーが、きっと日本代表を支えるだろう。