真剣勝負が生み出すオリンピックの名場面。後世まで語り継がれる名シーンを振り返る

アスリートがもたらす興奮、衝撃、感動の場面

オリンピックの舞台では、これまでに数々の名場面が生まれてきた。トップアスリートのパフォーマンスは見る者を熱狂させ、同時に繰り広げられるサイドストーリーが思わぬ感動を与える。真剣勝負を繰り広げるからこそ、つくりものではない真の名場面が誕生する。

ウサイン・ボルト(右から3人目)は北京五輪100メートル走のフィニッシュ手前で両手を広げ、9秒69という世界新記録を樹立した
ウサイン・ボルト(右から3人目)は北京五輪100メートル走のフィニッシュ手前で両手を広げ、9秒69という世界新記録を樹立したウサイン・ボルト(右から3人目)は北京五輪100メートル走のフィニッシュ手前で両手を広げ、9秒69という世界新記録を樹立した

全力のプレーが名場面を生む

長い歴史を誇る近代オリンピックでは、これまでにさまざまな名場面が生まれてきた。世界の舞台であるだけに、オリンピックに出場するアスリートは、誰もが全力で戦う。記録やメダルをめざす者、国の威信をかけて挑む者、個人としての高みをめざす者など、期するものはそれぞれ違うが、それまでに積み上げてきたすべてを懸けて挑むからこそ、さまざまなドラマが生まれ、見る側に感動をもたらす。

世界トップクラスのアスリートが実力を余すところなく発揮し、ライバルたちに圧倒的な差をつけ、あるいは世界新記録を樹立して勝利する瞬間は、オリンピックの醍醐味と言えるだろう。優勝やメダルが確実視される選手は、当然ながら激しいプレッシャーにさらされる。そのなかで平常心を貫き、結果を出すというのは並大抵の精神力でできるものではなく、だからこそ重圧を乗り越えて結果を出す姿は感動を誘う。

一方で、競技の本質以外の部分が感動を誘うケースもある。競技中に負傷を負ってしまい、それでもゴールや勝利をめざして戦い続ける姿。競技者同士が友情やリスペクトを発揮するシーン。表彰台に立った選手たちが見せた思わぬ振る舞い。それらが後世に語り継がれる名場面を生むこともある。

中長距離で3冠を果たした「人間機関車」や10点満点を出した「白い妖精」

一つの大会で複数の種目に出場し、複数のメダルを獲得するのは、限られた人間にしか成し遂げられない偉業だ。種目の数が多い競泳、あるいは陸上の100メートル、200メートル、走り幅跳びといったスプリント系では実現可能だが、1952年のヘルシンキ五輪では、エミール・ザトペック(チェコスロバキア)が男子5000メートル、1万メートル、そしてマラソンという長距離3種目で金メダルを獲得した。いずれの種目もオリンピック新記録で、マラソンでは当時の世界記録保持者だったジム・ピータース(イギリス)が途中棄権するなかで「人間機関車」の異名どおりのパワフルな走りを見せ、競技場に入ってからはさらにスピードを上げて観衆からの喝采を受けた。

1976年モントリオール五輪では、体操女子においてナディア・コマネチ(ルーマニア)が段違い平行棒と平均台で五輪史上初の10点満点をたたき出し、金メダルを獲得した。彼女は個人総合でもトップとなり、同大会では合計3個の金メダルを獲得。当時わずか14歳だったコマネチは、純白のレオタードと可憐な容姿から「白い妖精」と呼ばれ、観客を魅了した。

1992年バルセロナ五輪のバスケットボールでは、プロ選手の参加が容認されたことにより、プロバスケットボールリーグNBAのスタープレーヤーが集結したアメリカ代表チームが実現した。マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、マジック・ジョンソン、チャールズ・バークレー、パトリック・ユーイング、ラリー・バードといったビッグネームが居並ぶアメリカ代表は“ドリームチーム”と呼ばれ、五輪では8試合すべてで100得点以上を記録する圧倒ぶりで金メダルを獲得した。

個人で圧倒的な強さを見せつけたアスリートと言えば、2008年北京五輪のウサイン・ボルトが記憶に新しい。100メートル走ではフィニッシュ手前で両手を広げ、流して走りながら他の走者を圧倒し、9秒69という世界新記録を樹立。200メートル走では「100年は破られない」と言われていたマイケル・ジョンソン(アメリカ)の世界記録19秒32(1996年アトランタ五輪)を100分の3秒更新する19秒30で走り、こちらも世界新記録での金メダルを獲得している。100メートル走、200メートル走で世界新記録を樹立しての2冠達成は五輪史上初の快挙だった。

北京五輪のソフトボールではエースの上野由岐子(右)が2日間3試合413球を投げ抜いて金メダル獲得に貢献した
北京五輪のソフトボールではエースの上野由岐子(右)が2日間3試合413球を投げ抜いて金メダル獲得に貢献した北京五輪のソフトボールではエースの上野由岐子(右)が2日間3試合413球を投げ抜いて金メダル獲得に貢献した

日本人では「東洋の魔女」や「上野の413級」が感動のシーンの主役に

日本人アスリートもさまざまな名場面を生み出している。1964年東京五輪では、当時、世界最強の呼び声が高かった女子バレーボール日本代表が圧倒的な強さを見せ、金メダルを獲得した。回転レシーブや無回転サーブを駆使した当時のチームは「東洋の魔女」の異名を取り、ソ連との決戦はスポーツ中継番組としては史上最高となるテレビ視聴率66.8パーセントをたたき出した。

1984年ロサンゼルス五輪の男子柔道無差別級では、山下泰裕の激闘が話題を呼んだ。山下は2回戦の試合で右足ふくらはぎの肉離れを発症し、足に力が入らない状態ながらも勝ち進む。そして決勝では、モハメド・ラシュワン(エジプト)と対戦し、横四方固めで1本勝ちを収めた。「ラシュワンが山下の右足を攻めなかった」という逸話はのちに両人とも否定しているが、必要以上な右足攻めを見せなかったのは事実であり、表彰式で山下が表彰台に上がる時にはラシュワンが手を貸すなど、リスペクトの姿勢を見せている。

2008年北京五輪の女子ソフトボールでは、エースの上野由岐子が1日で準決勝アメリカ戦、決勝進出決定戦のオーストラリア戦の2試合で合計318球を投げ抜いて完投。翌日の決勝アメリカ戦でも97球を投げて完投勝利を飾り、日本に金メダルをもたらした。「上野の413球」として語り継がれるエースの熱投は多くの感動を呼んだ。

2016年リオデジャネイロ五輪では、陸上男子4×100メートルリレーで日本が銀メダルを獲得した。山縣亮太(やまがた・りょうた)→飯塚翔太→桐生祥英(きりゅう・よしひで)→ケンブリッジ飛鳥という、全員が当時は自己ベスト10秒台という構成ながら、アメリカやカナダといった強豪を抑え、ウサイン・ボルトを擁するジャマイカに次ぐ2位でフィニッシュした。

係員の機転が選手と親による名場面を生む

勝利やメダル獲得の瞬間だけが名場面をつくるわけではない。1992年バルセロナ五輪の男子400メートルに出場したデレク・レドモンド(イギリス)はメダル候補の一人に挙げられていたが、準決勝の150メートル付近で右足ハムストリングの肉離れを発症し、うずくまってしまう。

それでも片足で跳び跳ねながらゴールに向かおうとする彼のもとに、スタンドから一人の男性――レドモンドの父親が駆け寄っていく。父は息子に肩を貸し、スタートから2分47秒後にゴールラインを超えた。レースの第三者である父親が触れた時点でレドモンドは失格となったが、2人の意思を尊重してレースを全うさせた会場係員やドクターの機転も、この名場面の一助となっている。

2000年シドニー五輪の柔道男子100キロ級の表彰式でも、係員の機転が名場面をつくり出した。この種目では日本の井上康生がオール一本勝ちで優勝。前年6月に急逝した母親の名前を帯に縫い込み、母親の遺影が見守るなかでの金メダル獲得だった。

そして表彰式の際、井上は母親の遺影を持参できるかどうか、会場の係員に確認する。遺影のガラス面が危険物とみなされるため、本来は持ち込むことはできない。しかし井上の思いを汲んだ係員の女性は「ジャージのなかに隠して行きなさい。私は何も見ていません」と持ち込みを容認した。表彰台で遺影を掲げ、母親とともに金メダルを受け取ったあのシーンには、そのような経緯があった。

シドニー五輪で井上康生(左から2人目)が母とともに金メダルを手にできた背景には、大会スタッフの温かい心づかいがあった
シドニー五輪で井上康生(左から2人目)が母とともに金メダルを手にできた背景には、大会スタッフの温かい心づかいがあったシドニー五輪で井上康生(左から2人目)が母とともに金メダルを手にできた背景には、大会スタッフの温かい心づかいがあった
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