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競泳の名将たる平井伯昌は「特別扱いしない」指導で北島康介と萩野公介を金メダリストに【師と弟子の五輪】

「強くなっても困らない」よう、人間性も育て上げる

文: オリンピックチャンネル編集部 ·
北島康介と萩野公介を金メダリストに導いた平井伯昌コーチ(写真)。自身も小学校低学年から水泳に取り組んだ経歴を持つ

北島康介がアテネ五輪、北京五輪で競泳の平泳ぎの2種目連覇を果たすと、平井伯昌(のりまさ)コーチの名は水泳指導の第一人者として知れ渡るようになった。北島だけに限らず、これまで中村礼子、寺川綾、萩野公介ら数多くのメダリストを送り出している「チーム平井」の指導法とは。

平井氏のもとで着実に成長した北島康介はオリンピックで2冠2連覇という偉業を成し遂げている

オリンピアンも特別扱いしない指導方針

平井伯昌氏と北島康介の出会いは1989年、東京スイミングセンターの全国大会選抜選手クラスで、当時北島は小学1年生だった。その後、北島が中学2年生になった1996年の9月、本格的な指導をスタートさせた。

この背景には、日本競泳が直前のアトランタ五輪でメダルなしに終わり、コーチ陣の若返りと新たな選手の発掘が急務とされていたことが挙げられる。平井氏のもとでめきめきと力を伸ばした北島は、2000年、高校3年生でシドニー五輪に出場し、100メートル平泳ぎで4位入賞。そして2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪では100メートル平泳ぎと200メートル平泳ぎで2冠を達成する。同種目においての連覇は世界初の快挙だった。

期待どおりに大きな成功を収めた北島だが、彼との師弟関係は平井氏にとっては“賭け”でもあった。指導を始めたばかりの頃の北島は体が小さく、線も細かった。目立った記録を残しておらず、本人は距離の長い200メートル平泳ぎに苦手意識を抱いていたという。また、スタートの飛び込みなど技術面でも光るものがあったとはとても言い難かった。

ただ、北島少年は水泳に関して高い集中力と、アドバイスを素直に聞ける姿勢を備えていたことが平井氏の目にとまった。すると、平井氏に師事して初めて臨んだ中学3年の全国中学水泳競技大会にて、当時の中学生記録保持者を破って優勝を果たし頭角を現した。

平井氏の指導の特徴の一つは、選手を「特別扱いしないこと」だ。北島がシドニー五輪に出場した後も、小学生から大学生までが混在するグループのなかで練習を続けていた。それは2人が所属していた東京スイミングセンターの育成方針でもあり、孤独になりがちな個人競技である競泳において、他の選手たちと切磋琢磨する環境を整えることでモチベーションの維持を促す効果がある。

また、平井氏は北島をマンツーマンで指導することを極力避け、「北島の指導に専念すべき」と世間の声が挙がるなかでも中村礼子の指導を引き受けた。中村もまた、アテネ五輪と北京五輪の200メートル背泳ぎ2大会連続銅メダルを獲得しており、合同練習がもたらした成果の一つと言える。

平井氏(後列右端)は2008年に競泳日本代表ヘッドコーチに就任。多くのトップスイマーと大舞台に挑んできた

「本気か?」と問い続け、金メダルへの欲を喚起

2008年から競泳日本代表ヘッドコーチを務める平井氏は、2013年4月、東洋大学の准教授と水泳部監督に就任した。

この人事により東洋大の学生はもちろん、北島や松田丈志(たけし)、寺川綾など以前から抱えている「チーム平井」の門下生を含めた多くの選手たちが、室内の50メートルプールを備える同大学の施設で練習を行うこととなった。

2013年春、この機に東洋大への進学し、平井氏に弟子入りを果たしたのが萩野公介だ。萩野は作新学院高等学校3年次の2012年にロンドン五輪の400メートル個人メドレーで銅メダルを獲得しており、4年後を見据えたさらなる成長のための決断だった。

中学時代から長い時間をかけて育てた北島と、すでに一度オリンピックでメダルを獲得している萩野とでは、アプローチ方法が異なる。平井氏は、そう考えた。北島の場合はまず長所を伸ばし、成長の手応えを得たところからストロークの改善、筋力アップなど細かな課題の改善に取り組んだ。

一方、国際舞台での成功体験を持つ萩野の場合は、ジュニア期から行うような長期スパンの指導法では通用しない。「4年後」に確実に結果を残すためには、真っ先に短所の克服に着手する必要があった。平井氏から見た萩野にとって最も大きな短所は「メンタル面」だった。萩野はメディアなどの前で「リオ五輪での金メダル」を常に目標として掲げていたが、平井氏の目にはそれが彼の本心ではなく、周囲の期待に応えるために自らを追い詰めているように映った。

どんなに実力があっても、それに伴うメンタルの強さがなければオリンピックの舞台で受けるプレッシャーに打ち勝つことはできない。平井氏は、萩野が「周囲のため」ではなく、「自分のため」に心から金メダルをめざしたいと口にするようになるまで、何度も何度も「本気か?」と問い続けた。結局、萩野の意識が明確に変わるまでには3年もの時間を要した。

リオデジャネイロ五輪を翌年に控えた2015年、萩野は海外合宿中に自転車で転び、右ひじを骨折して世界選手権の欠場を余儀なくされた。大きな悔しさを味わった萩野に、平井氏はあえて東洋大水泳部の主将を託し、精神面の成長を促した。チームメートの成長を支えながらタフさを身につけた萩野は、リオデジャネイロ五輪の400メートル個人メドレーで見事に金メダルを獲得。喜びを爆発させる姿には、彼の本心そのものが表れていたと見ていい。萩野はこの時、200メートル個人メドレーで銀メダル、4x200mフリーリレーで銅メダルも勝ち取っている。

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日本初プロスイマーの北島は東京都水泳協会会長に

平井氏の信念は、選手を「強くすること」ではなく、「強くなっても困らないようにすること」だという。選手として頂点に辿り着いたあとも人生は続くからだ。

日頃から選手たちと密にコミュニケーションを取り、水泳以外にも社会情勢や政治、経済などさまざまな話をし、アスリートとして活躍するだけでなく、現役引退後もスポーツ界をけん引していく人間形成を目的としている。そのかいもあり、北島は日本初のプロスイマーとなり、自らのスイミングクラブを運営するかたわら、2020年6月からは東京都水泳協会会長として幅広く水泳界に貢献している。

また、「平井レーシングチーム」と名を改めた一団には、萩野の他に青木玲緒樹と小堀勇氣が所属し、鍛錬を重ねている。来たる東京五輪で平井氏とともに喜びを分かち合う門下生の姿が見られることが期待される。