約2時間の間に繰り広げられるドラマ。なぜマラソンのコースは42.195キロになったのか?

2020年は浅草雷門前など東京の名所をめぐる
マラソンは1896年のアテネ五輪から採用。写真は本番のコースを練習で走る選手たち
マラソンは1896年のアテネ五輪から採用。写真は本番のコースを練習で走る選手たちマラソンは1896年のアテネ五輪から採用。写真は本番のコースを練習で走る選手たち

古代ギリシャの故事に由来するマラソン競技。1908年ロンドン五輪で42.195キロという現状の距離が採用され、1964年東京五輪では円谷幸吉が銅メダルを獲得した。公平を期すため、マラソンコースを決めるには厳密なルールが存在する。名所をめぐる2020年東京五輪では、どんなレースが繰り広げられることになるのだろうか。

王妃の要望で42.195キロに

一説によれば、紀元前490年、ギリシャ軍が「アテナイの戦い」でペルシャ軍の侵攻を退けた後、フェイディピディスという兵士がマラトンからアテナイまで約40キロを走破し、「喜べ、勝った」と告げて息絶えたという。近代マラソンはこの故事をもとに、1896年にアテネで行われた第1回のオリンピックで誕生した。この時に実施されたのは男子マラソンで、参加者は18名、距離は40キロで、ギリシャのスピリドン・レイスが2時間58分50秒で走り切り金メダルを獲得した。

当時、マラソンは大会ごとに距離がまちまちだった。1908年のロンドン五輪では、スタートがウインザー城、ゴールがスタジアムのアレクサンドラ王妃が座るロイヤルボックス前と定められたことで走行距離が41.843キロ相当の26マイルになったが、王妃が「スタートが子どもたちの部屋から見えるようにしてほしい」とリクエスト。そこでスタート地点を352メートル相当の385ヤード移動し、最終的には26マイル385ヤードとなったという逸話が残っている。単位を変えると42.195キロとなる。その後の大会でも距離は変動していたが、1924年パリ五輪から「42.195キロ」がマラソンな正式な距離として採用され、現在に至っている。

コースを設定する時の42.195キロの計測方法は2通りある。一つは50メートルの鋼鉄製のワイヤーを使い、50メートルずつ844回を測っていくやり方。測るのは、直線と左カーブでは歩道から30センチの位置、右カーブはセンターラインから30センチ、S字カーブは直線で最短のラインと厳密に定められている。もう一つは公式のカウンターを搭載した自転車でコースを走り、計測する方法。自転車3台に分かれて走行し、誤差がないかどうか確認して正確な距離を割り出す。

マラソンのコースは、当然ながら42.195キロより短くなってはいけない。誤差はプラス42メートルまで
マラソンのコースは、当然ながら42.195キロより短くなってはいけない。誤差はプラス42メートルまでマラソンのコースは、当然ながら42.195キロより短くなってはいけない。誤差はプラス42メートルまで

コース公認には厳密な規定がある

マラソンのコースが国際陸上競技連盟から公認されるためにはいくつかの条件がある。

まず、当然ながら42.195キロより短くなってはいけない。誤差はプラス42メートルまで。また、高低差も42メートル以下と規定されている。2018年4月に川内優輝が優勝したボストンマラソンのコースはこの規定を超えているため、公式記録としては残るが、公認の記録にはならない。ちなみに2020年東京五輪のコースは高低差が約33メートルとなっているため問題はない。また、大会によってはスタートとコースが別の地点に設定されているコースもあるが、その際はスタート地点とゴール地点の距離が直線で総距離の2分の1以下になっていなければならない。これは追い風の影響を受けて走れる直線コースをつくらせないためだ。

主要なマラソン大会では、「ペースメーカー」と呼ばれる選手が有力選手をサポートすることが一般的になっている。その名のとおり、一定のペースで走って好記録の創出につなげるのが従来の役割だ。近年の研究ではペースメーカー2人に前後を挟まれた状態で走ることで空気抵抗が極端に減り、エネルギーの消費を抑えることも明らかになっている。ペースメーカーは30キロ程度まで走ることが一般的だが、完走する選手もいるし、なかにはそのまま優勝してしまう選手もいる。

1964年の東京五輪マラソンを制したのはアベベ・ビキラ。2時間12分11秒は当時の世界最高記録だった
1964年の東京五輪マラソンを制したのはアベベ・ビキラ。2時間12分11秒は当時の世界最高記録だった1964年の東京五輪マラソンを制したのはアベベ・ビキラ。2時間12分11秒は当時の世界最高記録だった

19964年の東京では円谷幸吉が銅メダル

1964年東京五輪のマラソンコースは、国立霞ヶ丘競技場をスタートして明治通りを北上し、新宿で国道20号線に入って西に進み、調布市で折り返して国立競技場に戻るコースだった。折り返し地点のすぐそばには現在、東京スタジアム(味の素スタジアム)がある。男子マラソンのみが行われ、優勝したのは1960年ローマ五輪のマラソンを裸足で走って優勝したアベベ・ビキラ(エチオピア)。2時間12分11秒は当時の世界最高記録だった。

一方、日本からは寺沢徹、君原健二、円谷幸吉の3人が出場した。寺沢は1963年2月の別府大分毎日マラソンで当時の世界最高記録である2時間15分15秒8を出しており、3人のなかでは最もメダルに近い存在と言われていた。また、君原は1963年から1964年にかけて、いずれも東京五輪と同じコースで行われた3つの大会で優勝2回、2位1回という好成績を収めており、こちらもメダル候補に挙げられていた。

しかし実際は、最も経験が浅く、マラソンというより1万メートル走の有力選手だった円谷が3位となって銅メダルを獲得し、君原は8位、寺沢は15位という結果に終わっている

「忍者走り」が話題の安藤友香(左)と1万メートルからマラソンに転向したばかりの松田瑞生(右)。いずれも代表選考の舞台となるMGCへの出場を決めている
「忍者走り」が話題の安藤友香(左)と1万メートルからマラソンに転向したばかりの松田瑞生(右)。いずれも代表選考の舞台となるMGCへの出場を決めている「忍者走り」が話題の安藤友香(左)と1万メートルからマラソンに転向したばかりの松田瑞生(右)。いずれも代表選考の舞台となるMGCへの出場を決めている

名所をめぐる2020年、日本人のメダルなるか

2020年東京五輪のマラソンコースは、東京の名所をめぐるコースとなっている。映像を通して日本の文化が世界中に届けられる。

スタートとゴール地点はオリンピックスタジアム(新国立競技場)。靖国通りや水道橋、日本橋を経て浅草雷門前を通過し、銀座を経て東京タワーに近い増上寺付近で一度目の折り返し。内堀通りを南下して皇居外苑の二重橋前付近で二度目の折り返しを行い、オリンピックスタジアムに戻る。スタート直後から5キロ付近まで、そして後半の37キロ過ぎから41キロ過ぎを通る四谷4丁目付近に大きなアップダウンがあり、特に後半の上り坂は勝負の分かれ目の一つになることが予想される。

2020年東京五輪のマラソンコースは、浅草雷門前など東京の名所をめぐるコースとなっている
2020年東京五輪のマラソンコースは、浅草雷門前など東京の名所をめぐるコースとなっている2020年東京五輪のマラソンコースは、浅草雷門前など東京の名所をめぐるコースとなっている

日本人では2018年2月に日本新記録を打ち立てた設楽悠太、その記録を10月に塗り替えた大迫傑(すぐる)がメダルに近い存在と言える。彼らに次ぐ記録を持つ井上大仁(ひろと)も、出場すれば好成績が期待できるだろう。女子では2時間21分36秒という初マラソン日本最高記録を持ち、両手をあまり振らない「忍者走り」と称される独特の走法も話題の安藤友香、彼女に次ぐ自己ベスト記録を持つ松田瑞生(みずき)や前田穂南(ほなみ)が注目の存在だ。

日本代表は男女3名ずつで、2019年9月の「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」で各2名、2019年冬から2020年春にかけての「MGCファイナルチャレンジ」で1名ずつが決まる予定となっている。

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