菅野智之:「侍ジャパン」のエース候補は多彩な球種が武器。日本野球界の栄冠奪取の期待を背負う 

2017年のWBCでは計16奪三振の快投

大谷翔平やダルビッシュ有、田中将大や前田健太、菊池雄星……東京五輪に挑む男子野球日本代表「侍ジャパン」に、アメリカを舞台に活躍する投手陣が名を連ねない可能性が高まっている。彼らが籍を置くアメリカのMLB機構が、メジャーリーグ登録選手のオリンピック出場に消極的な姿勢を見せているためだ。その現状から、「良血の投手」にして、アメリカメディアも舌を巻いた菅野智之(すがの・ともゆき)にかかる期待は大きくなっている。

かつてのチームメートで、現在はセントルイス・カージナルスで活躍するマイコラスには「菅野はMLBで通用する」と太鼓判を押されている
かつてのチームメートで、現在はセントルイス・カージナルスで活躍するマイコラスには「菅野はMLBで通用する」と太鼓判を押されているかつてのチームメートで、現在はセントルイス・カージナルスで活躍するマイコラスには「菅野はMLBで通用する」と太鼓判を押されている

叔父である「若大将」の引退試合が野球人生の始まり

菅野智之(すがの・ともゆき)は1989年10月11日、神奈川県相模原市に生まれた。野球選手としての血筋は良好だ。

母方の祖父は東海大学付属相模高等学校の野球部で監督を務めた原貢(みつぐ)氏。主に1980年代に高校野球界の名指導者として注目を浴びた人物だ。読売ジャイアンツの4番打者として活躍し、2019年シーズンに同球団の3度目の監督に就任した原辰徳氏の父にあたる。

菅野が野球に本格的にのめり込むようになったきっかけはドラマチックだ。現役時代は「若大将」の愛称で親しまれた伯父・原辰徳の最後の勇姿が、幼心を揺るがした。

1995年10月8日、伯父の引退試合を東京ドームで生観戦した。引退試合で本塁打を放ってみせる伯父。球場にいた智之少年の心が震えた。のちにある取材で菅野は「ものすごい観客の人が涙を流していて、野球というスポーツはこんなに人を感動させられるものなんだなと感じた」と明かしている。その時、自分も野球に打ち込みたいと思った。

キャリアをスタートさせたのは小学1年生の時だ。地元の軟式野球チーム、東林ファルコンズでプレーを始めた。高学年の時には右投げ右打ちのエースで4番と、文字どおりチームの主軸になった。新町中学校の野球部では、3年次の夏にエースピッチャーとして神奈川県大会優勝を果たす。関東大会ではベスト8に進出した。

中学卒業後は、かつて祖父が監督を務め、伯父の原辰徳が4度の甲子園出場を果たした東海大学付属相模高の野球部に進む道を選んだ。野球の名門校だけに、レベルが高い。自分よりうまい選手が少なくなかった。菅野は野球人生で初めて壁に突き当たったが、それでも3年次にはエースの座をつかんでみせた。甲子園の夢は叶わなかったものの、150キロ近い速球を投げる「良血の投手」として注目を集めた。

叔父の原辰徳(右端)はすでに世界一を経験。2009年、イチロー(中央)らを擁する日本代表を率いてWBCを制覇している
叔父の原辰徳(右端)はすでに世界一を経験。2009年、イチロー(中央)らを擁する日本代表を率いてWBCを制覇している叔父の原辰徳(右端)はすでに世界一を経験。2009年、イチロー(中央)らを擁する日本代表を率いてWBCを制覇している

メジャーリーガーにも影響を与えた投球スタイル

東海大学の硬式野球部では、1年次から先発ローテーションに名を連ねている。2年次から4シーズン連続で首都大学リーグの優秀投手に輝いた。プロ入りが有力視されていく一方、国際舞台にも立った。2年次の2009年には日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、3試合に登板した。いずれも勝利に貢献している。同年のアジア野球選手権大会でも日本代表に選ばれ、優勝を経験した。

2012年10月にドラフト1位での読売ジャイアンツ入団が決定する。プロ1年目から主力として活躍。2013年には13勝6敗、2014年には12勝5敗、2015年には10勝11敗、2016年には9勝6敗、2017年には17勝5敗、2018年には15勝8敗という成績を残してきた。リーグ優勝に貢献した2014年にはセントラル・リーグのMVPに選出されている。最優秀防御率を4回、最多勝利と最多奪三振をそれぞれ2回記録するなど、日本野球界屈指のピッチャーとしての地位を確立した。

186センチ、95キロと大型だが、力だけで押し切るピッチャーではない。オーバースローとサイドスローの中間、ややサイド気味に肩口から投げる「スリークォーター」気味のフォームからは、160キロ近い速球に加え、シュート、スライダー、カーブ、フォーク、カットボールという多彩な変化球を繰り出し、打者を次々と打ち取っていく。

そのピッチングスタイルには、2015年から2017年までともに読売ジャイアンツでプレーしたアメリカ人投手マイルズ・マイコラスも大きな感銘を受けたという。来日前のメジャーリーグ時代は「スピードこそ正義」のピッチングを信条としていたマイコラスだが、ある取材で、菅野のトレーニングや試合を見て学び、日本での3年間で投球技術を微調整する力や制球力が向上し、ピッチングの幅が広がったと明かしている。

186センチ、95キロと大型だが、力だけで押し切るピッチャーではない。制球力に加え、豊富な球種を武器とする
186センチ、95キロと大型だが、力だけで押し切るピッチャーではない。制球力に加え、豊富な球種を武器とする186センチ、95キロと大型だが、力だけで押し切るピッチャーではない。制球力に加え、豊富な球種を武器とする

2017年のWBCでは、アメリカメディアから称賛

日本野球界に名を残す「原辰徳の甥」であるという事実は、永遠に変わらない。子どものころは「原辰徳の甥なのに大したことないな」と陰口をたたかれたこともあれば、「原辰徳の甥なんだからうまくて当たり前だ」と皮肉を言われたこともあったという。

プロ生活は7年目、野球人生は30年近くとなった今、メジャーリーグ経験者にも影響を与えた菅野は「原辰徳の甥」という呪縛からほとんど解放されたと言っていい。日本野球界を代表するピッチャー菅野智之としてさらなる飛躍を見据えている。

来たる東京五輪は、自らの実力をあらためて地球規模で証明する場になる。大学時代を含め、世界での経験は少なくない。プロ3年目の2015年には野球の国際大会、WBSCプレミア12の日本代表に選出され、11月14日のアメリカ戦で先発起用された。4回2失点と調子はいま一つだったが、チームは10−2で勝利を収めている。3位決定戦のメキシコ戦でもマウンドに立ち、勝利投手となった。結果は11−1の7回コールド勝ちだった。

2017年の世界大会WBCでも日本代表に招集されている。チームは準決勝敗退に終わったものの、菅野はキューバ戦とアメリカ戦を含む3試合に登板し、58人を相手に16奪三振を奪ってみせた。その快投ぶりには、アメリカメディアも「日本で最高のピッチャー」「MLBスターと渡り合える」と舌を巻いた。

2019年1月、地元相模原市の情報紙の取材で、菅野は「ここでいいやと思うのが一番怖い」と話している。東京五輪に向けてより自分を高め、4年に一度の祭典を経て、さらに成長を続けていく──それこそが、「原辰徳の甥」ではなく、ピッチャー・菅野智之の名を日本野球史に刻むための最適解だ。

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