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10年ぶりコーチ復帰のリオ五輪で「シンクロ日本」を復活。「メダル請負人」井村雅代の情熱指導【師と弟子のオリンピック】

中国代表を含め、オリンピックは9大会連続でメダルを獲得

「メダル請負人」と呼ばれる井村雅代(左から3人目)。2014年から再度、アーティスティスティックスイミング日本代表を率いる

かつてはシンクロナイズドスイミングという名称で、現在はアーティスティックスイミングと呼ばれる水泳競技の日本代表ヘッドコーチを務めるのが井村雅代だ。これまで中国代表を率いた2大会も含め、9つのオリンピック大会すべてでメダルをもたらし、「メダル請負人」と呼ばれる。厳しい指導の裏にある、彼女のシンクロへのまっすぐな愛とは。

井村自身もアスリートとして、シンクロが公開競技として実施された1972年のミュンヘン五輪に出場している

メダル獲得後に専任コーチを解雇

井村雅代は1975年に指導者としての道を歩み始めた。もともと彼女自身もシンクロナイズドスイミング選手として競技生活を送り、シンクロが公開競技として行われた1972年のミュンヘン五輪に出場した経歴を持つ。

井村は天理大学を卒業後、中学校で保健体育科の教諭を務めながら、自身がシンクロを習った浜寺水練学校でシンクロの指導を行っていた。すると浜寺水練学校からシンクロの専任コーチを要請された。自身は教員の仕事にやりがいを感じており、また、収入面などの安定を考えても教員の職から離れるという決断は簡単ではなかった。しかし、シンクロの魅力を自分自身に教えてくれた浜寺水練学校の力になりたいという思いから、1981年、シンクロ専任コーチとなった。

井村の独特なスパルタ指導法で鍛え上げられた選手たちは、すぐさま世界の舞台で結果を残した。シンクロが正式種目となった1984年のロサンゼルス五輪で元好三和子と木村さえ子のペアがデュエットで銅メダルを獲得。以降、ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、リオデジャネイロ五輪と自ら代表のコーチとして指導したすべてのオリンピックで日本はメダルを獲得している。

井村コーチのすごみは、日本シンクロ界の黎明期から数々の逆風を乗り越えて結果を残し続けてきたことにある。ロサンゼルス五輪でメダルを獲得した直後には、経営上の理由で浜寺水練学校から事実上の解雇を告げられたこともあった。それでも彼女は「選手たちのために」と指導意欲を絶やさず、借りられるプールを転々と渡り歩きながらシンクロを教え続け、偉大な功績を築いていった。

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北京五輪で四川省出身姉妹をデュエット代表に抜擢

ロサンゼルス五輪からアテネ五輪まで6大会連続で日本にメダルをもたらした井村は、アテネ五輪後に日本代表コーチを退任した。すると、2008年に北京五輪の開催を控えた中国から代表監督としてのオファーが届く。当時、世界ランクの6位前後を推移していた中国は、自国開催のオリンピックでメダルを取るべく、日本シンクロ界のパイオニアである井村に白羽の矢を立てたのだった。

この動きに対し、国内での反応は芳しくなかった。しかし、井村は速さと調和で勝負する日本のシンクロをアジアに広げることで、手足の長さを生かした欧米の演技が評価される風潮に歯止めをかけられると考え、日本シンクロ界には戻れないことも覚悟のうえで腹をくくって海を渡った。

中国では2008年の北京五輪で銅、2012年のロンドン五輪で銀といずれもチーム種目でメダルを獲得した。中国のシンクロ史に名を残しただけにとどまらず、井村は中国国内に革新をもたらしている。それまで中国のスポーツ界において根深い問題となっていた「出身省」同士で連帯する過度な帰属意識に徹底的に対抗し、選手の実力によるチームづくりを貫いた。

たとえばデュエットの代表選手を決める際、開催都市である北京出身選手ではなく、四川省出身の蒋文文(ジャン・ウェンウェン)と蔣婷婷(ジャン・ティンティン)という双子姉妹を抜擢した。井村はあらゆる政治的圧力を受けながらも彼女らを育て上げ、北京五輪では4位、ロンドン五輪では銀メダルの成績を残し、同国のエースへと成長させた。

ロンドン五輪のチーム種目で銀メダルを獲得した際には、選手たちが「出身省」の垣根を越え、互いに肩を抱き合って喜び合った。井村は中国をロシアと並ぶ世界トップレベルのチームにつくり上げた以上に、国家として、人間社会において大切なものをもたらしたのだった。

リオデジャネイロ五輪直後の2016年11月、アジア水泳選手権でマーメイドジャパンはチーム優勝を果たしている

停滞したシンクロ日本の肉体改造に着手し、復活へ導く

井村の退任後、日本は北京五輪のチーム種目で5位、さらにロンドン五輪ではデュエット、チームともに5位と沈み、ロサンゼルス五輪から続いていた連続メダル獲得が途切れた。「日本のお家芸」とも言われたシンクロを低迷から立て直すには、井村の力が必要だと考えた前日本水泳連盟シンクロ委員長の金子正子は、粘り強く交渉を続け、10年ぶりに井村をコーチに復帰させた。

2014年の再就任直後、井村は選手たちの肉体改造に真っ先に着手した。選手たちは40キロ程度までしか上げられなかったベンチプレスを75キロまで上げられるようになり、体のキレを磨くことで演技の向上を図った。すると、監督に就任したばかりの2014年のワールドカップにおいて出場全種目で銀メダルを獲得という快挙を成し遂げた。

東京五輪で期待されるのが乾友紀子(左)と吉田萌(めぐむ/右)のデュエットだ。2019年4月、アーティスティックスイミングワールドシリーズのジャパンオープン兼日本選手権で銀メダルを獲得し、3カ月後の世界水泳選手権で4位入賞を果たしている

その後も「泣きながら練習するのは当たり前」という師弟関係の厳しい指導は続いたが、リオデジャネイロ五輪では、チームに加え、乾友紀子と三井梨紗子のデュエットで銅メダルを獲得。シンクロ日本の復活を印象づけるとともに、井村自身は中国代表も含め9大会連続での表彰台入りと、指導者としての実力を世界に知らしめた。

リオデジャネイロ五輪の後、競技名はシンクロナイズドスイミングからアーティスティックスイミングと改称された。東京五輪に向けて意気込むマーメイドジャパンの前には、絶対女王のロシアだけでなく、2強の一角を維持するまでに成長した中国、パワー重視の演技で急速に力を伸ばしているウクライナなどが立ちはだかる。2019年の世界選手権ではチーム、デュエットの計4種目でウクライナに全敗を喫しており、井村を擁する日本と言えども決して油断があってはならない。厳しくも水中と水上での演技に対する愛があふれる井村の指導を受けながら、マーメイドジャパンは東京五輪の舞台で美しく、力強く舞う。