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10月10日は1964年東京五輪、開幕の日:1964年のレガシーとは

文: 渡辺文重 ·

ハッピーマンデー制度が導入される前、10月10日は「体育の日」だった。2000年からは10月第2月曜日(2020年は五輪特措法、2021年は改正五輪特措法で7月に移動)、2020年からは「スポーツの日」に名称変更されたが、体育の日が10月10日であることには、1964年東京五輪が大きく関係していた。

■1964年10月10日に東京五輪が開幕

1964年10月10日、アジアで初となるオリンピックが東京で開幕を迎えた。しかし実は本来であれば、最初の東京五輪は1940年に開催されるはずだった。

ベルリン五輪が開催された1936年、国際オリンピック委員会(IOC)は次回開催地を東京に決定する。だが翌年、日中戦争が勃発。米英からの外圧、国内からは軍部の反対もあり、1938年、ついに日本はオリンピック開催を返上する。結局、第2次世界大戦により、1940年と1944年のオリンピック開催は中止となった。

戦後初のオリンピックとなった1948年のロンドン五輪、敗戦国の日本は参加を認められなかった。日本がIOCに復帰するのは1951年のこと。翌年のヘルシンキ大会、日本はオリンピック選手団を派遣する。そして“幻の東京五輪”から20年が経過しようとする1959年、IOCは再び開催地を東京に定めた。

そして1964年10月10日、ついに最初の東京五輪が開会式を迎えた。この2年後、国民の祝日である「体育の日」が公布されるが、体育の重要性を深める意味で、東京五輪開会式の10月10日に定められることになった。

■1964年東京五輪の概要は?

第18回オリンピック競技大会は1964年10月10日(土)から24日(土)の15日間、東京(一部競技は、埼玉県、神奈川県、千葉県、長野県)にて開催された。直前にインドネシアと朝鮮民主主義共和国が引き上げるなどのトラブルはあったものの、93の国と地域が参加。参加選手数は5152名(男子4474、女子678)で、20競技163種目が行われた。自国開催となった日本は、355選手(男子294、女子61)が出場。金メダル16、銀メダル5、銅メダル8を獲得している。

また、オリンピック開催期間中の訪日外国人旅行者数は、約5万人(うち選手を含む大会関係者約9000人、一般観光客約4万1000人)であった。

■1964年東京五輪で活躍した選手たち

遠藤幸雄(1937-2009)

1960年ローマ五輪の体操男子団体優勝で優勝に貢献。東京五輪では小野喬、鶴見修治、山下治広、早田卓次、三栗崇とともに、団体総合で連覇。さらに個人総合、平行棒で金メダル、床運動で銀メダルを獲得するなど、体操王国ニッポンをけん引した。1968年のメキシコシティ五輪で団体総合3連覇に貢献。現役引退後は、日本体操協会顧問などとして活躍した。

三宅義信(1939-)

1964年東京五輪の日本人金メダル第1号。ローマ五輪では銀メダルだったが、自国開催のオリンピックで金メダルを獲得すると、メキシコシティ五輪で連覇を達成した。1964年の東京五輪で銅メダルを獲得した現・日本ウエイトリフティング協会会長・義行の兄、2012年ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪のウエイトリフティングでメダルを獲得した三宅宏実の伯父としても知られる。

東京五輪の日本勢金メダル第1号となった三宅義信

バレーボール女子日本代表

1964年東京五輪で初採用となったバレーボール。大松博文監督率いる“東洋の魔女”全日本女子(河西昌枝、宮本恵美子、谷田絹子、半田百合子、松村好子、磯部サダ、松村勝美、篠崎洋子、佐々木節子、藤本佑子、近藤雅子、渋木綾乃)は、ソビエト社会主義共和国連邦との決勝を制し、初代オリンピック女王に輝いた。

■1964年の東京五輪が残したレガシー

東海道新幹線の開通や首都高速道路の建設など、東京五輪に向けて充実した都市インフラは、1964年大会の「有形のレガシー」として知られている。

また東京五輪では16の金メダルを獲得。いくつもの競技が「世界に追いつけ、追い越せ」を実現、そのほかの競技も実現可能という手ごたえをつかんだ。オリンピックをキッカケにスポーツは大々的に報道され、実業団による日本リーグが普及するなど、日本のスポーツ文化の発展に大きな影響を与えた。

そして10月10日の「体育の日」、それを受け継ぐ「スポーツの日」の精神も、1964年東京五輪の「無形のレガシー」だと言える。