4年前の雪辱を胸に、岩渕真奈は東京の地で躍動することができるか

東京五輪では出場を逃したリオ五輪の雪辱を狙う。
東京五輪では出場を逃したリオ五輪の雪辱を狙う。東京五輪では出場を逃したリオ五輪の雪辱を狙う。

“なでしこジャパン”にとって2018年最後の国際親善試合となるノルウェー戦が鳥取で11月11日に行われた。スコアは4-1。世界ランキング13位(2018年12月7日付)につけている北欧の古豪から大量4得点をあげ、“なでしこジャパン”が快勝した。中でもチーム最多の2得点を挙げた岩渕真奈は、持ち味である攻撃力を遺憾なく発揮。チームの勝利に大きく貢献した。

堂々たるプレーに漂うはエースの風格

岩渕は序盤から切れ味鋭いドリブルで、ノルウェーのディフェンス陣を翻弄した。前半15分には、ドリブルを仕掛け、中央に切り込むと、相手ディフェンダーが岩渕のスピードについていけずに思わずファール。この日2トップでコンビを組んだ横山久美(AC長野パルセイロレディース)が直接フリーキックをゴールに沈め、岩渕は先制点をお膳立てした。続いて前半27分、素早い駆け出しで相手ディフェンダーの間を絶妙のタイミング抜け出し、長谷川唯のスルーパスを引き出す。ファーストタッチで的確にボールをコントロールすると、確実にシュートを決め、良い時間帯に貴重な追加点を挙げ、前半を終了した。

この日のなでしこはパスワークが冴え渡り、ノルウェーの守備を撹乱する。後半に入り10分、INAC神戸のチームメイト、中島依美からのグラウンダーの折り返しを、岩渕は落ち着いて流し込み、試合を決定づける3点目のゴールを決めた。その直後には、「お役御免」とばかりに、岩渕は籾木結花(日テレ・ベレーザ)と交代し、ピッチを退いた。

この試合で岩渕は、名実ともに“なでしこのエース”としての存在感を見せつけ、2018年を最高の形で締めくくった。そして、フランスで開催されるFIFA女子ワールドカップを控える2019年、さらには東京五輪が待つ2020年に向けて大きな一歩を踏み出した。

クラブ登録女子第1号からエリート街道をまっしぐら

岩渕はJリーグが開幕する2カ月前の1993年3月18日生まれ。東京都武蔵野市の出身だ。現在は、なでしこリーグ1部のINAC神戸レオネッサに所属している。

小学校2年生のときに2歳年上の兄が所属していた関前SCに入団。両親は反対したそうだが、本人の強い意志でサッカーを始めたという。当時、女子選手はまだまだ珍しく、岩渕はクラブの女子メンバー第1号だったそうだ。男の子に混じってボールを追いかける日々。しかし、その頃から、足元の技術などは優れていて、才能の片鱗を見せつけていたようだ。中学進学と同時に日テレメニーナに入団。2007年、14歳になるころには、トップチームの日テレベレーザと二重登録され、なでしこリーグの初出場も果たしている。翌2008年にはトップチームに昇格し、リーグ新人王にも輝いた。

2010年のなでしこリーグでは、リーグ3位タイとなる9得点をマークする活躍で、敢闘賞とベストイレブンを受賞。さらに、なでしこリーグカップ決勝では、浦和レッドダイアモンズ・レディース相手に決勝点を決め、大会MVPに選出された。そして、この年に“なでしこジャパン”に初選出。U-20ワールドカップに、U-20日本代表として出場し、“女メッシ”と称された切れ味鋭いドリブルで、世界から称賛を浴びた。チームは予選敗退したにも関わらず、岩渕は大会MVP候補の10人の中のひとりに選ばれている。岩渕のドリブル技術やサッカーセンスが高く評価されたことの証左だろう。こうして岩渕真奈の名前は、世界中のサッカー関係者やファンの間で知れ渡ることになり、文字通りのエリート街道を突き進んでいく。


2011年女子W杯では優勝を勝ち取った。
2011年女子W杯では優勝を勝ち取った。2011年女子W杯では優勝を勝ち取った。

主役になれなかった2011年女子W杯ドイツ大会

「2011年は岩渕の年になる」。女子ワールドカップ・ドイツ大会の開催前は、そんな声もよく聞かれた。多くのメディアが “ポスト澤穂希”の筆頭候補として彼女を取り上げる。そして迎えた本大会、18歳の岩渕はチーム最年少で、日本A代表入りを果たした。周知の通り、“なでしこジャパン”とアメリカ代表との決勝は、激しい死闘となり、延長戦でも決着がつかず、PK戦までもつれた。過去の対戦成績は0勝21敗3分け。一度も勝ったことにないアメリカ相手にPK戦を制し、“なでしこジャパン”が初めて世界の頂点に上り詰めた。3月11日に東北地方を襲った東日本大震災からの復興へ向かう日本国民に勇気与え、なでしこフィーバーが巻き起こった。

岩渕自身は1次リーグ3試合と準々決勝、決勝の5試合に途中出場した。優勝に貢献したものの、ゲームの主役にはなりきれずに大会を終える。翌年のロンドン五輪もチーム最年少メンバーとして挑んだが、先発メンバーで出場した1試合を含む3試合のみの出場。決勝は3連覇を狙うアメリカ。途中出場した岩渕は後半38分に決定機を迎えたが、キーパーに阻まれて得点できず、“なでしこ”は銀メダルに終わった。オリンピックでのメダル獲得という素晴らしい結果に、日本中が歓喜に包まれたが、岩渕にとっては、またもや苦い経験となってしまった。岩渕は大会後「次は金メダルを獲らないといけない」と語っている。

代表先発メンバーになるための絶対的な信頼を勝ち取り、「次の時代」を自らの手でたぐり寄せるべく、岩渕は活躍のフィールドを海外に求める。2012年11月にドイツ・女子ブンデスリーガのTSG1899ホッフェンハイム(当時2部)へ移籍。9試合に出場して4得点をマークし、チームの1部昇格に貢献した。2014年には世界屈指のビッグクラブ、バイエルン・ミュンヘンに移籍。2015年の女子ワールドカップ・カナダ大会を“自分の大会”にすべく着実に歩みを進めていた。


ドイツでは強豪バイエルン・ミュンヘンでプレーした。
ドイツでは強豪バイエルン・ミュンヘンでプレーした。ドイツでは強豪バイエルン・ミュンヘンでプレーした。

度重なる怪我が行く手を阻み、帰国を選択

しかし、岩渕は2015年2月に、右ひざ外側側副靭帯を損傷してしまう。保存療法を選択して、ワールドカップ・カナダ大会のメンバー入りには間に合ったものの、万全ではない状態の岩渕に、先発の席は用意されていなかった。出場した5試合はすべて途中出場。それでも、準々決勝のオーストラリア戦で、後半27分から出場し、終了間際に値千金の決勝ゴールを決め、なんとか岩渕らしさだけは発揮した大会となった。

そして、ワールドカップ後、新たな気持ちで挑むはずだったバイエルン・ミュンヘンでの2シーズン目、開幕前のプレシーズンマッチで、岩渕は再び右ひざ外側側副靭帯を損傷する。このときは手術を行ったが、その後も度重なる怪我に悩まされ、2017年、ついに日本への帰国を決意。再手術に踏み切った。

手術を終えた2017年6月にINAC神戸レオネッサへの加入が決定。9月9日に行われたなでしこリーグ14節、ベガルタ仙台レディース戦で実戦復帰を果たした。

高倉新体制のもとで、着実に結果を残す

“なでしこジャパン”では、2016年のリオデジャネイロ五輪は最終予選でまさかの3位に甘んじて、4大会連続の五輪出場権を逃した。高倉麻子監督の新体制になってからは、コンスタントに召集されており、結果も残してきている。高倉新監督の初戦となったアメリカ代表との親善試合では、新体制になっての初ゴールを記録。

EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017では、宿敵の韓国代表から決勝ゴールを奪った。さらには2018年、女子ワールドカップ・フランス大会の予選を兼ねたAFC女子アジアカップで全5試合にフル出場。2得点をあげ、同大会の2連覇とワールドカップ出場権獲得に大きく貢献し、大会MVPにも選ばれた。8月のアジア競技大会でも5試合中4試合に出場し、優勝の原動力となった。

レジェンドとの誓いを胸にさらなる成長を約束

いよいよ3度目となる女子ワールドカップが目前に迫っている。今までの2大会は最年少のスーパーサブとしての役割だったが、次の大会で求められているのは、“なでしこのエース”として、「大暴れ」することだ。代表メンバーも大きく様変わりし、2度のワールドカップ、五輪の経験はもとより、海外リーグでのプレーなど、彼女自身が持つ経験値は、チーム内でもトップクラスだろう。もはや、試合になれば仲間を鼓舞し、FWとしてゴールを決め、チームを牽引する役割が求められるようになったのだ。

“なでしこジャパン”のレジェンド、澤穂希と岩渕との対談の中で、東京五輪の舞台では「10番をつけてキャプテンをやってほしい」と澤は岩渕に語っている。これまで培った経験、世界を魅了した足元の技術、持ち前の躍動感あふれるプレーが、高い次元で融合したとき、澤との約束は果たされるに違いない。ワールドカップでの王座奪還、2020年東京五輪での悲願の金メダルは、岩渕真奈のさらなる成長にかかっている。さあ、世界を驚かせよう。

楽しめましたか?お友達にシェアしよう!