フィギュアスケート

羽生結弦は「ミスタートリプルアクセル」に師事し、世界王者の称号を獲得【師と弟子のオリンピック】

オーサー氏はオリンピックで銀メダルを獲得した“ジャンプの申し子”

文: オリンピックチャンネル編集部 ·
2012年からオーサー氏(右)と師弟関係を続ける。2013年12月に福岡で開催されたグランプリファイナルで優勝を果たした

羽生結弦はフィギュアスケート男子シングルで66年ぶりのオリンピック連覇を達成し、2020年2月には3つの国際主要大会を制すグランドスラムを成し遂げるなど、世界のトップスケーターとして君臨する。飛躍を果たした背景には、“ジャンプの申し子”として知られるブライアン・オーサー氏との充実した師弟関係があった。

現役時代のオーサー氏。“ジャンプの申し子”として知られ、サラエボ五輪とカルガリー五輪で銀メダルを獲得している

オリンピック制覇のため、ライバルのコーチに自ら頼み込んで師事

羽生結弦は2012年の春からブライアン・オーサー氏の薫陶を受けている。

当時17歳だった羽生は、4回転ジャンプの強化に着手しようとしていた。その頃、オーサー氏の教え子であるハビエル・フェルナンデスが2種類の4回転ジャンプで抜群の安定感を誇り、世界から注目を集めていた。フェルナンデスは羽生にとってライバルの一人であったが、オーサー氏の指導力を信じ、自ら頼み込んだのだった。

そもそもオーサー氏自身も現役時代は「ミスタートリプルアクセル」の愛称で知られた“ジャンプの申し子”だった。1984年のサラエボ五輪、1988年のカルガリー五輪では2大会連続で銀メダルを獲得。引退後はプロスケーターとして活躍し、2006年、キム・ヨナとの出会いをきっかけに本格的にコーチ業へ転身している。

オーサー氏と出会ったころの羽生は、世界フィギュアスケート選手権で3位となり、日本男子史上最年少での表彰台入りを成し遂げたばかりだった。同大会ではショートプログラムの7位という順位が示すとおり、演技の要所で脆さが出てしまうことがあり、ステップやつなぎも完璧ではなかった。

ソチ五輪まで約2年。時間があまりないなか、2012年にオーサー氏がいるカナダのトロントを活動拠点の一つとした羽生に対し、新たなコーチはジャンプの強化だけでなく、スケーティングの基礎技術の指導も行った。もともとぜん息の持病があった羽生にとっては、少しでもむだな動きを減らすことがスタミナ面の課題改善につながると考えたからだ。

オーサー氏のもとでは振りつけ、スケーティング、ジャンプなどそれぞれの担当コーチを集めた「チーム・ブライアン」が組まれている。オーサー氏が全体の指揮を執りながら、各分野のコーチが専門的な指導にあたる方針だ。

そのなかで着実に力を伸ばした羽生は、2013-14シーズンのグランプリファイナルで初優勝を果たす。そして迎えた2014年のソチ五輪では、ショートプログラムで史上初の100点超えとなる101.45点をマークした。フリースケーティングでも上々のパフォーマンスを見せ、フィギュアスケート男子シングルにおいてアジア人初の冬季五輪金メダルに輝いている。

振りつけ、スケーティング、ジャンプなど各担当コーチを集めた「チーム・ブライアン」のもと、成長を続ける

ソチ五輪後は基礎体力の向上に着手し、連覇達成

ソチ五輪直後の世界選手権を制し、グランプリファイナル、オリンピックと合わせて世界三大大会で頂点に立った羽生は、4年後の平昌五輪に向け、競技意欲を失うことはなかった。

羽生とオーサー氏が真っ先に取り組んだのは、スタミナ面の向上だった。ソチ五輪前には時間がなく着手できなかったが、より難易度の高いプログラムに挑戦するには、基礎体力の向上が必須だった。ただし、単純に筋力を増やすだけではスケーティング時の体のバランスが崩れてしまう。体の変化に伴い、筋肉の動かし方にも気を配る必要があった。オーサー氏は複数の選手のコーチを受け持っているため、羽生に毎日つきっきりで指導することはないが、彼の些細な変化も見逃さぬよう気をつけた。

“絶対王者”の地位確立をめざしていた羽生は、4回転ジャンプのさらなる強化にも取り組もうとしていた。2016-17シーズンには世界初となる4回転ループにチャレンジしたが、新技導入をめぐってオーサー氏は違った考えを持っていた。難しいジャンプに気を奪われるあまり、演技の細かな技術が疎かになっていることをオーサー氏は見抜き、演技全体の完成度を高める重要性を説いたのだった。

平昌五輪に向けた最大の壁となったのは、度重なる負傷だった。オリンピックを3カ月後に控えた2017年11月には、NHK杯の練習中に右足関節外側じん帯を損傷し、欠場を余儀なくされた。当時、自身の胆のうの手術のためカナダにいたオーサー氏はテレビで羽生の姿を確認。重傷であることは見て取れたが、すぐに平昌五輪に向けた準備をスタートさせた。全日本フィギュアスケート選手権や四大陸フィギュアスケート選手権を回避し、ぶっつけ本番となった平昌五輪では万全なコンディションでなかったが、気力で滑りきった羽生は、男子シングルでは66年ぶりとなるオリンピック連覇を達成した。

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ジャンプの本数より演技全体の質へのこだわり

2020年2月、羽生は3年ぶりに出場した四大陸選手権で初優勝を飾った。世界選手権、グランプリファイナル、そして四大陸選手権制覇でグランドスラム達成と同時に、オリンピック、ジュニア世界選手権、ジュニアグランプリファイナルを制していることから「スーパースラム」を達成した。6つの主要国際大会で優勝という偉業は男子シングル史上初のものだ。

羽生が今、見据えるのは、世界選手権2連覇中で最大のライバルと言えるネイサン・チェンとの戦いを制し、北京五輪でオリンピック3連覇を果たすこと。そのために、フリースケーティングでの4回転ジャンプ5本導入と、いまだ公式試合で成功した者のいない4回転アクセルという大技への挑戦を表明している。

オーサー氏は、飽くなき向上心を抱く羽生の姿勢を尊重しつつも、ジャンプの本数より演技全体の質にこだわる指導方針を変えるつもりはない。また、羽生の体を第一に考え、「ケガなく終えることが何より大切」とも口にしている。

羽生のスケーティングからは、ジャンプの技量では推し量れない美しさが漂う。そう信じるオーサー氏だからこそ、羽生が“羽生らしさ”を存分に発揮することが勝利につながると考えている。北京五輪の頂点を見据えるトップスケーターは、さらなる魅力を引き出すために惜しみないサポートを受けている。